鹿島美術研究 年報第36号別冊(2019)
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ナー・クラウスによると、デコックたちオランダ人の顔が周囲のジャワ人より大きく描かれているという。その理由は、ティルトの作品がそうであったように、オランダ人をラクササのような怪物として表象しているからだという(注11)。しかし顔の比率が大きく不細工だといっても、その違いは微妙であるし、何よりもサレーがこの作品をオランダ国王ウィレム3世に贈呈しようとしていたことや、オランダ人とのきわめて友好的な関係を考えると、あまりに希望的な推測だと言わざるをえない。この作品の本質は、ディポヌゴロという反植民地運動の指導者をサレーと重ねて理解するのではなく、じつは別のところにあるのではないか。クラウスの解釈では、ディポヌゴロとデコックの二人を中心に読み解かれ、ほかの登場人物については重要視されていない。しかし画面構成や人物描写などから判断すると、ディポヌゴロとデコックの一団以外に、強調されている人物がいることに気づく。それはデコックたちと対峙するかのように、画面右下で腕組みをし、どこかこの歴史的場面を冷静に見つめる男のことである。この美しい容貌のジャワ人男性こそ、サレーの複雑な心境を暗示する真の主人公ではないのだろうか。この男について、クラウスは一言も言及していない。この推測を補強するものとして、この若者に似た人物がほかの作品にも登場することを指摘したい。たとえばスミソニアン・アメリカ美術館が所蔵する《鹿狩りをする6人の男たち》〔図4〕では、白馬に跨るもっとも目立つ人物として、似た風貌の男が画面中央に描かれている。ここでも彼が誰なのかはわからない。しかしジャワの大地を自由に駆け巡るその優美な姿には、失われた過去へのノスタルジーさえ感じさせる。このように考えたとき、《ディポヌゴロの捕縛》という作品は、インドネシア独立の前触れとなるような愛国的価値を減らすのかもしれない。しかし、名もなきこの男を中心に据えた方が、ヨーロッパとインドネシアから愛されたサレーの悩める立ち位置を(注12)、あるいはまだ愛国的な独立運動が盛んになる前のサレーの歴史観を、より正確に説明できるのではないだろうか。そうした苦悩への理解こそが、サレーの近代人としての歴史的評価を裏付けるのである。以上、熱帯博物館及び国立民族学博物館の所蔵品を足掛かりに、オランダ領東インド時代における近代美術や視覚文化の形成が、オランダからどのように影響を受けてきたかを見てきた。オランダからの影響については、風景画家ペヨンとラデン・サレーの師弟関係をひとつの例として、またインドネシア独自の近代的な視覚表現の形成については、サレーやティルトたちが自らの歴史をどのように表象したかを分析してきた。しかしその全貌を解明するには、さらなる調査研究が必要であることは言う― 566 ―― 566 ―

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