鹿島美術研究 年報第36号別冊(2019)
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ことを総合した議論はなく、宮島新一氏のやまと絵の自然観に立脚した「名所絵」風の表現であるという指摘(注23)が唯一歌仙絵の外から住吉断簡を述べたものである。やはり佐竹本を正しく理解するためには、住吉断簡の分析が不可欠である。中近世の住吉社景の絵画作例は数多く残っており、例えば狩野元信「酒呑童子絵巻」上巻(サントリー美術館)〔図7〕には巻頭方向に海が広がり、浜辺に松を多く配し、反橋を描いた住吉社景が描かれる。佐竹本の住吉社の景観は、この反橋が描かれないため、より古い時代を描いたと見てよい。「酒呑童子絵巻」と同テーマの「大江山絵詞」(逸翁美術館)〔図8〕を見てみれば、巻頭方向が浜で巻尾方向に住之江が描かれる。住之江にせり出した浜の先に鳥居を配する構図は佐竹本と類似する。さて、苫名悠氏は「彦火々出見尊絵巻」上巻(福井・明通寺)の第一段の海浜景〔図9〕には住吉イメージが投影されていると論じられる(注24)。確かに、向かって右に浜、左に海を配する構図は鑑賞者に対し、実際の住吉景を想起させる表現と考えられる。さらに描き込まれるモチーフについて、「住吉蒔絵手箱」(栃木・輪王寺)〔図10〕は住吉デザインの中に貝がモチーフとして研ぎ出されているという(注25)。苫名氏は「彦火々出見尊絵巻」に貝図様がちりばめられることについて、住吉社を表象する歌語との対応を指摘するが、妥当な指摘と言える。また、住吉断簡、「住吉蒔絵手箱」、「彦火々出見尊絵巻」のすべてに鷺らしき(鴎か)鳥が描かれている。このほか佐竹本には御田や「融通念仏縁起絵巻」(シカゴ美術館)にも描かれる千木が特徴的な本宮、そして住吉の松が描き込まれている。どれも歌語と対応するものであり、古代中世の住吉モチーフを集大成している。しかしながら、佐竹本の住吉図を考察する場合には、モチーフや景観年代よりも高い視点から描かれる構図に注目すべきではないだろうか。「大江山絵詞」の住吉社景は住吉断簡とくらべて視点が下がり、さらに海浜と社殿の間がかなり圧縮された構図で表現される。「彦火々出見尊絵巻」の上巻第一段は「大江山絵詞」に比べ紙幅を使って海浜景を描くが、低い視点は同様である。この構図は絵巻の形式に調整されたかなりデフォルメされた表現様式であると考える。また、「住吉蒔絵手箱」の住吉デザイ4444ように「歌絵」的な表現とも佐竹本住吉断簡ンが源頼政の和歌に関連すると読まれるの表現は異なる。もう一例、「伊勢物語絵巻」(和泉市久保惣記念美術館)の巻第二〔図11〕を挙げれば、『伊勢物語』六十八段の住吉を詠んだ和歌物語が装飾的に絵画化されており、「雁なきて菊の花さく秋はあれど春の海辺にすみよしの浜」が葦手絵で表現される。和歌と書、絵画が調和した作例であり、平安時代の「女絵」を想起させる。以上見てきたように、住吉断簡は構図とモチーフの両面で、これらの作例とは一線を― 48 ―― 48 ―

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