鹿島美術研究 年報第36号別冊(2019)
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はブラジル、そしてアフリカにすすみ、20世紀末にいたるまで、そこに留まろうとしたのである。この世界進出の過程で力を発揮したのは剣や貨幣だけではなく、言語や文化や信仰が作用しながら、芸術が生み出した視覚的形でもある。こうした考察の元、氏はポルトガルの歴史的、文化的、神学的モデル、および異文化との混交や遭遇から、ハート形というものを探求しようとした。ポルトガルにおいて、主要な崇敬対象であるイエスの聖心は、キリストの五つの傷(シャーガス:Chagas)崇敬と結びついている。この崇敬とそれに関する最初の芸術作品は、遅くとも1728年に遡る。王妃 D. マリア1世は、この崇敬の偉大なる推進者として、王国全土でイエスの聖心の祝日を設ける認可を教皇から得て、イエスの聖心に捧げられたエストレーラ聖堂をリスボンに建立した。スペインやその世界帝国における芸術との類似性も注目に値する。イベリア諸国の場合、こうした崇敬が起こる以前にも、デヴォチア・モデルナ(新しき信仰)以来、バロック時代の聖史劇でも強調されて、聖職者の間で芸術を通したハートへの接近がすでになされていた。両氏に続いて、パトリック・P. オニール氏(アメリカ、ノースカロライナ大学)による『アイルランドにおける聖心崇敬』、カトリーン・サンティング氏(オランダ、フローニンゲン大学)による『物質としての心臓. 中世末からルネサンスにおける人間の枢要器官の表象』、塚本麿充氏(東京大学)による『中国皇帝の身体と聖心イメージ』、秋庭史典氏(名古屋大学)による『二つの心臓』、杉山卓史氏(京都大学)による『近代初期の美学における「ハートの言語」』といった報告講演が行われ、西洋中世から近現代にいたる時間的流れの中で、西洋から中国を経て日本、さらにはラテンアメリカという地理的な広がりにおいて、美術史、歴史、宗教学、美学、哲学など、さまざまな側面からハート形の展開が扱われた。最後の討論会では、それぞれの講演に対する質問や意見などが交換されたが、とくにデ・ジョルジオ氏が扱ったバトーニの《聖心のイエス》(1767)に対して、その甘美に過ぎるとも言える画像が公的な扱いを受ける理由が話題となった。ここで明解な理由が提示されたわけではなかったが、ローマのイル・ジェズ聖堂にあるこの画像をイエズス会が世界的に広めたのに対して、フランスのアラコックに顕れたとされる神が厳しい性格であったことは注目に値する。また、テイシェイラ氏の報告にあったポルトガルのエストレーラ聖堂に、バトーニが描いた聖心に関する複数の画像も、近代の聖心画像の発想源となったことも重要である。こうした議論を含めて実りある討論が行われ、時間の制約がある中で参加者からも貴重な意見や質問が寄せられた。翌10月7日の早朝から、海外からの登壇者と長崎市を訪問し、午前中に日本二十六― 589 ―― 589 ―

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