鹿島美術研究 年報第36号別冊(2019)
608/643

果たし活躍した時期にあたる。マルサー氏は三人の建築家たちの個別の仕事、都市計画に関する当時の有力者たちの志向、そしてムンジュイックの丘で開催された1929年バルセロナ国際博覧会という三つのトピックに整理し、この時期の都市空間の展開について解説を行った。当時、キューバをはじめとするスペインのアメリカ植民地で財を成したインディアーノスたちの帰国に伴いバルセロナの都市開発に投下された彼らの莫大な富が、建築家たちにその優れた技量を十二分に発揮する機会を与え数々の名建築が生み出された。マルサー氏は展覧会でも紹介されている「不和の街区(Manzana de la Discordia)」を中心に既述の三建築家の仕事を紹介したが、中でも近代建築におけるガウディの先駆性と革新性の解説に力点が置かれた。ガウディのカザ・ミラの例では、壁ではなく柱で建物を支える構造を採用することで、自由なデザインに基づくフロア・プランの策定、風と光を有効に取り込むための大口径の外窓の設置が可能となるとともに、建物の外壁では加工を施した石材によるカーテン・ウォール工法が採用されている事実が紹介され、1928年にル・コルビュジエがはじめてバルセロナを訪れた際の言葉を引用しつつ、ガウディがル・コルビュジエに20年以上先駆けて近代建築の主要な原則を既に実現化していたことが説かれた。当時の富裕層が求めたバルセロナの都市像は、「グラン・バルセロナ」たるに相応しい最も美しい地中海の理想都市、地中海のパリとも言うべき姿であった。マルサー氏は、その実現に向けた取り組みの例として、現在のカタルーニャ広場の整備およびプッチ・イ・カダファルクによって主導された新たな都市計画案の公募(採用案はフランス人建築家レオン・ジョセリーのプラン。数本の通りの整備を除きほとんど実現に至らず)を取り上げ、ある意味で無味乾燥なサルダーのプランに注がれた当時の批判的な眼差しを紹介する一方、拡張地区の周縁に出現した労働者たちのバラック群の写真を示しつつ当時深刻化した階層間の格差の問題にも焦点を当てた。この社会問題の解決こそサルダーが自らの都市拡張プランの礎とした重要な課題であったという意味で、マルサー氏の視点は計画に込められる理念、時代の志向、そして実際の開発という三項の間に容易に生じ得るギャップの存在というものを改めて認識する機会を我々に提供するものであった。1929年にムンジュイックの丘で開催されたバルセロナ国際博覧会のマスタープランはプッチ・イ・カダファルクによって作成された(展覧会出品資料)。プッチ・イ・カダファルクをはじめとする保守的なカタルーニャ主義者を中心に当時のバルセロナの芸術界を支配していたのは、地中海の古代文化に自らのアイデンティティーの源泉― 594 ―― 594 ―

元のページ  ../index.html#608

このブックを見る