を見出そうとするノウサンティズマ(新世紀主義)の美学であった。その結果、スペイン広場中央の噴水を起点とする会場に出現したのは古代風の意匠を採り入れた建築群であり、現在もムンジュイックの丘一帯は当時の面影をそのまま留め、彼らが実現を目指した「グラン・バルセロナ」の姿の一端を伝えている。マルサー氏は、同じ会場にドイツの迎賓館として建てられた究極のモダニズム建築とも言うべきミース・ファン・デル・ローエ設計のパビリオンとノウサンティズマの建築群とのスタイルのコントラストに言及したが、この比較は国際性と地域性という現在もなお有効性を失っていない問題に対し大きな示唆を与え得るものである。第四期 近代化(MODERNIZAR):都市の合理化が目指された時期(1930年代前半)この時期はスペインの第二共和政の時代にほぼ重なる。この時期のバルセロナでは文化全般においてヨーロッパ的な近代的特徴が主役となり、建築界においてはジュゼップ・リュイス・セルトを中心とした若い建築家たちの集団「GATCPAC」が活躍した。はじめにマルサー氏によって詳説されたのは、セルトと近い関係であったル・コルビュジエとGATCPACとが共同で推進した未来のバルセロナのための新たな都市改造計画であった。GATCPACの活動を後押しした当時の州首相フランセスク・マシアーの名にちなみ「マシアー計画」と名付けられたこの計画では、職場ゾーンや居住ゾーン、娯楽ゾーンなど都市空間をその機能によって区分けする「ゾーニング」の概念が導入され、労働者を中心とした市民がより快適で充実した生活を送ることができる「機能都市」の実現が目指された。都市の美観よりも、充実した市民生活のための都市の機能性の実現が優先されたこの計画は、サルダーの都市拡張プランの理念と理想を新たなかたちで受け継ぐものと捉えることが可能であり、この視点に基づいた新たな研究の推進が俟たれるところである。続いてマルサー氏は、マシアー計画と並行してGATCPACにより考案された「休息とバカンスの街」というコンセプトに言及した。有給でバカンスを取得することを認める法律が施行されるなど、当時の社会状況の変化に伴う市民ニーズの分析を行ったGATCPACは、先述のコンセプトに基づき多くの人がバカンスを楽しめるビーチエリアをリュブラガット川西側の海岸に建設するプランを作成する。彼らは大型のグラフィックを作成しカタルーニャ広場で市民に対するプレゼンテーション行うなど積極的なアウトリーチ活動を展開したが、グラフィックの持つ効果と可能性に自覚的でありそれを最大限活用したGATCPACの活動はスペインの前衛芸術史において重要な意味を持つことが指摘された。― 595 ―― 595 ―
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