鹿島美術研究 年報第36号別冊(2019)
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〔むすびにかえて〕画す、リアリスティックな表現をとると言える。高い視点から描き、様々な住吉を表象する歌語をちりばめる表現をとる住吉断簡において、伊勢物語のような歌物語や頼政の詠歌に依るといった「読み」の余地はごく限られている。この性質は、藤原重雄氏の指摘する後白河院時代の最勝光院障子絵のモチーフと表現における具体性(注26)に近似しているだろう。さらに、住吉断簡に関する宮島氏の超越的視点から見た古い神域図の伝統を引くという指摘(注27)は妥当と思われる。また、住吉断簡は宮曼荼羅図様に連絡する表現と考えられないだろうか。試みに、「春日宮曼荼羅図」(根津美術館)〔図12〕と比較すれば、住吉断簡は社殿の様子に注力し、近接的に表現するのではなく、住之江という〈場〉すべてに意識を向けているように見える。「春日宮曼荼羅図」(南市町自治会)〔図13〕と比較すれば、住吉断簡のやや散漫に住吉表象モチーフを配した構図は、社殿のみならず現実風景を神聖視した表現と見なせる。以上佐竹本の具体的で様々な要素がちりばめられる住吉社景が宮曼荼羅的「聖性ある土地」の表現で描かれると仮定したが、現段階では、なぜそのように描かれるか確証あることは述べられない。ただ、佐竹本歌仙絵におけるリアリスティックな似絵風の表現や、史実に基づいた官位とは異なる鎌倉時代の装束で描かれることと相関関係があることは間違いない、と付け加えておく。本年は大正年間に佐竹本が益田鈍翁によって断簡化された年から百年を迎える。このドラマチックな来歴も、佐竹本が歌仙絵の代表例と見なされてきた理由であろう。しかし、近年の研究によって佐竹本が相対化され、「時代不同歌合絵」など他作との相関が徐々に明らかにされている。本報告では、歌仙絵の源流として治承年間の『三十六人歌合』の「世の末までのかたみとどめむ」意識があったことを指摘し、その上で基家撰三十六歌仙絵や「時代不同歌合絵」の源流からの距離をはかった。佐竹本に関して、治承年間の歌仙絵と同じ意識があったかはわからないが、当然歌仙絵の本流に近い作例であったと考え、考察を続けたい。また、当初目標とした中世歌仙絵の似絵表現と受容者について議論しきれず、佐竹本の考察に終始した嫌いがある。今後は佐竹本の特性を歌仙絵のみならず中世やまと絵や似絵史上で相対化したうえで、歌仙絵の研究を進めていきたい。― 49 ―― 49 ―

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