第五期 過密と拡張(DENSIFICAR Y EXTENDER):人口の過密と更なる都市拡張の時期(1940年~70年代中盤)フランコ政権の時代と重なるこの時期は、内戦による荒廃のため仕事が失われた地方から更に多くの人々が都市部に職を求め流入したことにより、バルセロナにおいても人口の過密化と住宅不足が進行しあらゆる社会階層の人々にとって住環境が悪化した。1929年のバルセロナ国際博覧会の建設工事のため大量の労働者が流入し人口の過度な増加に苦しめられていたバルセロナ市は、既に内戦前の1932年に拡張地区の建物の容積率の制限を更に緩和する条例改正を実施した。その結果、ペントハウスの上に更に階を重ねる建築物や、街区の中庭にあたる場所に工場が建てられる事例が出現するなど都市環境は悪化し、内戦後もその状況は進行した。マルサー氏は、1949年にバルセロナ市が実施した住居不足を解消するためのプランのコンペや、バルセロナ市郊外のモンボウにおける集合住宅建設プロジェクトなど新たな住宅地の開発に関する事例を取り上げつつ、ル・コルビュジエのマルセイユのユニテ・ダビタシオンをはじめヨーロッパの他都市における事例の研究とそのパターンの適用によって問題解決を図ろうとした当時の取り組みを紹介した。第六期 回復(RECUPERAR):都市をあるべき姿へと回復させる試みが実行された時期(1970年代後半~現在)講演の最後に、フランコ政権後から現在に至るバルセロナにおける都市空間整備の取り組みが紹介された。1976年には拡張地域における地上部分の建物の容積率の規制値を1932年の条例改正前のレベルに戻す条例が施行されるなど、1970年代中盤以後、バルセロナの街をあるべき姿に戻そうとする動きが顕在化する。マルサー氏はこの時期を「回復期」と位置付け、かつては工場が建てられていた街区の中央部が庭園として緑化された事例や、バルセロナにとってサルダーの都市拡張プランの時代からの長年の懸案であった海岸地帯の整備がバルセロナオリンピックの開催を機に進んだ事例、サルダーのプラン以降公園の整備が想定されていたにも関わらず工場や住宅などが無計画に建設されてしまっていたベソス川西岸地域が近年になりようやく市民の憩いの場として公園化された事例などを取り上げ、現在も続く都市空間の再生整備の実際を紹介した。付言すれば、長らく正当な評価を受けず、時には取り壊しや無計画な改修の憂き目にあったムダルニズマ建築が、1960年代中盤以降、特に1980年代を通して高い評価を取り戻し、修復や復元工事を経て今やバルセロナにとってその都市空間を彩る最も主要な魅力の源泉として再生していることも、この回復期の事例として挙― 596 ―― 596 ―
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