鹿島美術研究 年報第36号別冊(2019)
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作品を作り上げた。このようにボデ氏によって一人の作家の制作工程を詳細に知れたことは意義深いものとなった。日本では陶芸技術に表現が偏っていく傾向にあるが、バルド氏の表現からは造形の背景にある歴史観、社会性など多くの造形手段を引き出せる可能性を感じた。最後に展示作家であるフランス人現代美術家、エリーズ・ヴァンドゥワル氏が自身の作品から陶芸表現に至る過程を説明した。氏は身体から直接型を取り、いくつかのパーツを作る。そのパーツにプロテクトを意味する痕跡を加え、黒い釉薬を掛け焼成する。このパーツをゴムバンドで縛り、鉄パイプで作った構造体に吊す。いくつかはアクリル板の上に置き、これらを組みあわせ構成する。この作家のコンセプトは身体の不在性を作品に投影し、縛ることによっておこる暴力性、また痕跡によって現実社会からの自己防衛など複数の要素が絡み空間を形作っている。彼女の作品からは現実社会に対する不安や恐れの気持ちや、身体に対しての執着も感じられる。空間を大きく使ったインスタレーション作品であるが、パイプ配置や吊された作品の構造によって空間自体が重量をもって迫ってくる迫力を感じた。彼女の作る作品は社会性を伴いながら身体表現を投影していくものだが、日本では果たして陶表現なのかという疑問も起こりそうな表現であった。しかしながら彼女が選択した素材としての「陶」が、表現の一部として我々陶芸家に投げかけている問題は大きい。4 シンポジウムを終えて今回のシンポジウムでは、5人の講演者が自身の関わる状況から陶表現について率直に意見を交換した。最初に、なぜ西欧において現代美術のみならず建築デザインの分野の中で多くの陶素材が使われているのか、日本と西欧を比較することによって、それはどのような意味をもつのかを再定義していくことを目的にしたと述べた。このシンポジウムを通じて、日本では陶素材そのものの中から表現を引き出そうとする傾向があり、そこに伝統技術が加わり個を表現する媒体としての陶表現がある。それは大江氏が指摘するように、自然の景色の中に自己を見出す日本人の姿であり、表現の形であった。そして教育にも根ざしており、明治以来の日本の陶の歴史にも見いだせるのである。しかし経済や情報が発展した今日の日本では「東京焼」のように自然の景色以外の要因も現れはじめていることも指摘する。一方で西洋では、自然よりもむしろ人間が作り上げた社会や歴史に造形の原理があり、それを紐解き素材に落とし込― 601 ―― 601 ―

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