の記事の掲載と、それに反応するロダンのやり取りを具体的に捉えることができた。すなわち、展覧会を見た批評家は1月29日に《青銅時代》についての短いコメントを出し、その後ロダン自身がこれに反論する手紙を新聞社に送り、それに対して再度2月2日に短い記事が掲載されるという流れであった。どちらの新聞評も「時事評」という短い記事を集めた欄のなかの一つであり、紙面において重要な位置を占めていたというわけではない。もちろん短くはあれ、このような批評がロダンの心理的な側面に影響したという事実は否定できるものではない。しかしここで語られていた内容は、これまで認識されてきたようなロダンの芸術性に対する全面的な批判、というものではなかったのである。まず批評家はロダンのことを「今日の才能ある彫刻家のうちの一人」とし、《青銅時代》に関して「会場ではもちろん見過ごされることはないだろう、というのも、もしこの作品がその奇妙さから注目を集めたとしても、その得難くまた類い稀な性格、すなわち生命感によって、人々はなお惹きつけられるからである」と述べているのである(注4)。その後に人体からの「型取り」への言及が出てくるが、これに関しても、「この石膏像のどの部分が「型取り」によるものなのか、ここで詮索する必要はない」と論じている(注5)。この批評では、「型取り」について示唆しながらも、むしろ《青銅時代》のリアリズムについて一定の評価を加えており、この批評が「型取り」のスキャンダルを生み出したという性質のものでは決してないのである。むしろこれに過剰に反応したのはロダンのほうであった。彼が『レトワール・ベルジュ』誌側に送った手紙の(おそらく)一部は2月2日の記事に掲載されているが、そこで彼は以下のように述べている。「もしどなたか見識のあるかたが、私のために真偽を確かめて下さろうとするのであれば、彼をモデルの前に立たせ、芸術的な解釈が盲従的な複製からいかなる点において異なっているのか、確かめることができるでしょう」(注6)。ここでロダンは「芸術的な解釈」と「盲従的な複製」を対立させる構図を導入しており、自らを前者に位置づけている。しかしながら先にも確認したように、『レトワール・ベルジュ』誌側はこのような構図をもとにロダンを批判したわけでは決してなく、むしろこの作品が実際に「型取り」に基づくものかどうかの判断は保留しながら、《青銅時代》のリアリズムに基づく「生命感」について一定の評価を与えていた。もちろんここで新聞社側はロダンの書簡のおそらく一部しか掲載していないため、彼のこの発言を文字通り受け取ることには一定の留保が必要であるが、しかしこのようなロダンと新聞側のやり取りのニュアンスが、のちの《青銅時代》をめぐる研究においては一切顧みられてこなかったことは注目に値する。「芸術的な解― 607 ―― 607 ―
元のページ ../index.html#621