鹿島美術研究 年報第36号別冊(2019)
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釈」と「盲従的な複製」の二項対立は、19世紀において伝統的に存在してきた創造性についての定型的な構図である(注7)。この図式はその後のロダンの芸術観を支えているものとも考えることができるが、こうした構図はロダン自身によって、彼自身の彫刻家としての経歴のまさに端緒に当たる《青銅時代》をめぐる評価のなかで強調されていったのではないだろうか。《青銅時代》のスキャンダルの起源は、1877年その時点で行われた激しい批判の応酬というわけでは決してなく、むしろ「芸術的な解釈」と「盲従的な複製」を対立させる構図をロダンの側が導入し、「型取り」を芸術とは異なるものとして排除しながら、自らを前者に代表させるという、一種の彼の芸術観を表明する起源であったのではないかと考えられるのである。このようなロダンの態度への違和感はすでに、ロダンに応答した2月2日の新聞評のなかで表明されていた。「しかし私たちは彼の作品が盲従的なコピーだと決めつけようと一瞬たりとも思ってはいなかったことを、そして私たちの全く好意的な批評が、協会のなかで起こった疑いに対して応答するために彼によって利用されるのをみるのは少なくとも奇妙なことであるということを、ロダン氏に指摘したいのである」(注8)。ここでいう「協会のなかで起こった疑い」とは、未だ史料的に裏付けられていない問題であるが、当時「ブリュッセル芸術・文学協会」内部において、《青銅時代》が「型取り」によるものではないかという批難があったのかもしれない。いずれにせよロダンは、このような批判の機会に応じて、「型取り」と創造性を対置させる構図を自ら強調することで彼の芸術家としての立場を明確にしようとした。こうした《青銅時代》のスキャンダルと芸術家ロダンをめぐる言説は、彼の名声が高まるにつれより存在感を増していったと考えられる。今後、さらに先の①から④の分類に基づいてこの問題を分析していくことによって、ロダンの芸術家としての立場が「型取り」との対立の中でどのように明確化されていったのか明らかにすることが今後の課題となる。次に今回の滞在の第二の目的である《蠟製頭部像》について、フランス北部、ベルギーとの国境近くにあるリールに滞在し、この作品についての調査を行ったため、簡潔に報告する。この作品についてはすでに『死生学・応用倫理研究』(注9)、およびフランスにおいては2018年6月のロダン美術館における「若手研究者集会」において発表している(注10)。今回の滞在では、リール美術館とコンタクトを取り、この像についてのさらなる情報を収集することにあった。幸いなことに、ロダン美術館での発表の成果も相まって、リール美術館学芸員のエリザベート・ド・ジョンケール氏とコンタクトを取ることができ、これまで目を通すことのできなかった修復などにまつわるドキュメントに目を通すことができた。美術館ではこれら資料の他に、19世紀に― 608 ―― 608 ―

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