家族と猿》(1905年)が、約50年前のカラー写真より現状の作品の特に青色の退色が激しいことを確認し、その進行を防ぐことを目的とした調査の報告であった。青色の顔料成分を同定すべく蛍光X線分析が行われるとともに、退色の要因は主に照明と支持体である厚紙の酸化にあると示された。なお、《軽業師の家族と猿》が制作された1905年は、ピカソが水性絵具を絵画制作に多用した時期にあたる。同作品の画面は美術館など通常の鑑賞条件下ではマットな風合いを放ち、水性絵具の使用を思わせるが、一方、斜光で見ると光沢を帯びる部分も確認された。そのため、この時期の他の作品同様、エッセンスと呼ばれる油彩顔料から油分をできる限り取り去り、つやのない風合いを画面にもたらす油彩技法を、ピカソが《軽業師の家族と猿》でもまた試みた可能性が示唆されたのである。ゆえに、この発表では同時期の厚紙を支持体とした作品には、現在、明らかに青色が退色し、制作当初の色を表していない作品が他にも存在する可能性が提示された。くわえて、ピカソの特に1900年代初頭の同一作品に対して、水彩あるいはグアッシュ、他方では油彩と同時代の言説にゆれのあるケースがあり、このような作品同定に関わる情報の混乱を整理するための手掛かりとなる、物質レベルでの作品の情報を提供することになったと言えるだろう。一方、シカゴ美術館は、所蔵する油彩画《静物》(1922年)の、その表層の下には目視できない別の静物画のイメージが画布裏面からうっすらと確認できるが、その輪郭をX線撮影、赤外線撮影によって浮き立たせ、かつピカソが下層のイメージを部分的に参照しながら表層のイメージを構成したことを明らかにした。1900年代のピカソの作品には画布の再利用が多々見受けられるが、その当時と生活環境の異なる1920年前半においても、同じく画布のみならず先行イメージをも再利用するという制作態度に関わるこの検証は、ピカソ芸術の根幹に触れる事例を補完することにもつながったと言える。また、《静物》にも用いられており、1920年頃のピカソ作品に特有の艶と量感を画面に生み出すエナメル塗料リポリンの劣化のメカニズムについても論じられた。本シンポジウムにおいて何よりも意義深い点は、これらの調査が総じて作品それ自体がモノとして語る言葉に耳を澄まし、所蔵館が他所との連携にとって多角的に調査を実施するという理想的な形によって行われている事例を共有しようとした点にある。そして、しばしば現在の作品の姿や情報と、制作当初の作品のそれらとが異なるということを証明することにつながるのであるならば、それは、視覚文化論や歴史学のフィールドにおいても有意義となる要素を探究しているわけであり、さらなる調査の展開が望まれるだろう。このような機会において、報告者は歴史学的な視点でピカソの画布の再利用や絵画層の多層化に関わる試論「表象としての層:1907年から1920― 612 ―― 612 ―
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