鹿島美術研究 年報第36号別冊(2019)
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て、同氏とともに同図書室が所蔵するセオドールの書簡を調査。内容は、アカデミーの画家とのやりとりが中心であった。あわせて、同図書室からは明治に来日した水彩画家アルフレッド・イーストにかかる情報提供をうけた(以上、6月5日)。6月6日から10日にかけては移動を含めて、ガーンジー島での調査。エリック・サマレーズ氏の厚意により、同氏所蔵作品の調査を中心に、ガーンジー・ミュージアムで現在開催中の企画展「ガーンジーのリトル・ジャパン」の見学及び同展展示中の作品の調査。サマレーズ氏の曾祖父にあたるジェイムスが、1876年から80年にかけて英国外交官だった折、多くの日本美術を蒐集した。そのうち30点ほどが五姓田派にかかる絵画であり、その作品調査を核とした。同島の歴史、そしてサマレーズ家の歴史などもあわせて聞き取り調査をしながら、日本との交流についても調査した。うち報告として、焦点となる作例の調査研究結果を特記する。ひとつは、報告者が所属する神奈川県立歴史博物館が所蔵する五姓田義松《制作風景》と近似する作品である。それぞれ便宜上、〔神奈川〕、〔ガーンジー〕と記すこととしよう。比較すると、明らかに〔ガーンジー〕は細部まで明瞭に描き込まれ、サインがある。両者とも目視の限りでは、紙や絵の具などに大きな差はなく、サイズもほぼ同じである。どちらが先かという明瞭な差はないものの、描かれた画面の差違を考えれば、〔神奈川〕が下書、〔ガーンジー〕が浄書と考えるのが素直かもしれない。従来、〔神奈川〕はその描き込みの粗略さから唯一物、スナップショットとしての性格を読み取ってきた。描かれた内容からも1872年頃の工房内部の制作、生活の一コマを描きとった作例と考えて間違いない。〔ガーンジー〕の存在は、その性格自体を否定するものではないものの、即興性を主とすると複数制作をしないという単純理解が通用しないことを示唆する。結論として、〔神奈川〕と〔ガーンジー〕の制作の前後関係は明確とはならないものの、義松と購入者であるジェイムスの関係を考えるとき、すなわち購入の経緯を推測するとき、必ずしも下書―浄書が時系列的に近接連続しているとも限らないこともわかる。ジェイムス滞在期の早い段階でも1876年である。従って、数年の差がある。また義松は数年以上の隔たりがあっても、過去の制作を思い起こしながらほぼ同じ画面を描くことができた、その能力があったと推定できる作例が他に存在している。今回の調査でも、同種の事例が他に2例、《手あぶりの女》《金魚掬い》が認められた。いずれも〔神奈川〕が下書、〔ガーンジー〕が浄書にあたるような描き込みの密度の違いがあり、特に後者の作品はサインがなく、絹本に描かれていることもあり、義松か否かも検討を要する。しかしながら、これらの作成からも、2点の《制作風景》については最初から下書―浄書というプロセスを意識した制作で― 614 ―― 614 ―

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