外でも、ピーテル・デ・ケンペナールやフェルナント・シュトゥルムらの画家がセビーリャを中心に活躍した。16世紀に入っても、ヤン・フェルメイエンやアントニス・モルらが宮廷画家として活動している。また、タペストリー、写本などの奢侈品に加え、ロヒール・ファン・デル・ウェイデン、ヒエロニムス・ボッスら初期ネーデルラント絵画の巨匠の作品も、様々な経緯を経てスペインにもたらされてきた。このように、ネーデルラント、そしてそれのみならずイタリアという美術の二大中心地からそれぞれに作家や作品を呼び込み、とくに16世紀半ば以降、豊かな絵画伝統をはぐくんでいくスペインにおいて、ネーデルラント美術の果たした役割や影響は、さらに包括的に掘り下げて考察されるべき問題であろう。このように重要な複数の論点と関わりうるにもかかわらず、ネーデルラント・スペイン間の美術の交流については、これまで十分な紙数が割かれてこなかったように思われる。このことは、ネーデルラントとイタリアの間の美術交流史が、早くから重厚な研究の蓄積を残してきたのとは対照的である。近年では、歴史分野におけるスペイン・ネーデルラント間の相互交流に関する研究の進展もあり、まとまった論集なども編まれるようになってきた。とはいえ、スペインにおけるネーデルラント美術の受容に関する全体像はいまだ明確ではない。これが、本セッションを企画し、スペイン・ネーデルラント間の美術交流について、多角的に検討する機会を設けることにした理由である。3月18日(月)の14時から15時半、このようにして企画したセッションが実施された。最初に、司会の深谷から、セッションの趣旨説明を行い、発表は研究対象の年代順に行われた。まず、プラナス氏が、アラゴン王アルフォンソ5世治下における、スペイン写本に対するネーデルラント、ならびにフランスの写本の影響について発表を行った。実物の実見が困難な写本という分野において、長く調査の実績を積み上げてきた氏ならではの貴重な知見の一端を窺うことができた。続くヴァイス氏は、フアン・デ・フランデスの宮廷画家以後の活動について、ネーデルラント絵画の特徴や北方独自の美意識を生かしながらも、地域的な要請にも巧みに応答して揺るぎない地歩を確立したフアン・デ・フランデスの成功を精緻に論じて見せた。彼女の論は、単なる一方的な「影響」にとどまらず、外的な要素の地元の伝統との融合、変形の様子を的確に浮彫りにし、大きな意義があるものであった。最後の今井は、15世紀以来、重要な輸出品であったタペストリーのなかから、とくにカール5世が入手した《名誉のタペストリー》について、ブルゴーニュ公国の伝統の受容と、それが実際にスペインで如何に機能したのかという問題を、図像構成や展示の機会といった観点から精緻に分析した。また、本セッションのテーマを踏まえて、― 622 ―― 622 ―
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