鹿島美術研究 年報第36号別冊(2019)
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を省略するなどやや変化を持たせて覆刻した様々な版も残っている。挿絵を見ていくと、承応2年(1653)、寛文4年(1664)、元禄7年(1694)版のものは寛永版を踏襲するものの、その他は寛永版に拠りながらも図様や画風に変化が見られる。渋川版は寛永版の要約、省略されたものと言われているが、寛永版とは本文を異にし、詠まれる和歌にも違いが見られる。挿絵についても、横本の形態を持つことから横長の構図になり、寛永版にはない場面も絵画化され、場面数は増加している。『文正草子』の版本以降の写本類の多くは、寛永版か渋川版に属すると言われている。確かに、版本と共通する挿絵を持つ写本類も多く確認できるが、今回調べた作例を見ていくと、後述するように寛永版のテキストを有しながらも挿絵はそれほど一致しないものや、渋川版の挿絵に近いものも見受けられ、他にも流布していた伝本が存在した可能性が考えられる。絵入り版本は挿絵とともに翻刻が示されているものはほんの一部で、渋川版がどのようにして作られたかなど明らかになっていないことが多い。今後、版本については個々に精査するとともに、版本以前の写本類を調査し流布系統について改めて検討を行う必要がある。1⊖2.『文正草子』の絵本、絵巻について『文正草子』を描いた絵本、絵巻類は室町後期から見られ、それ以降も多くの作例が残っている。やや稚拙な挿絵をもつ安価なものから、婚礼調度に用いられたであろう豪華な色彩が施された絵巻など多岐にわたる。初期のものはテキストも詳しく、挿絵数も多いものが見られるが、多くの物語絵がそうであるように、版本等により物語が普及し、大量生産されるにつれて、テキストは簡略化され、挿絵は場面選択や図様の定型化が進む傾向にある。今回見てきた絵本、絵巻類もそうした傾向が見られ、いくつかの型が流布していたことがうかがえる。具体的な作例を見ていく前に『文正草子』の絵画化について、先に全体的な特徴を見ていきたい。〔表1〕にあげた作例は、完本の場合であれば主に3巻本で、20前後の挿絵を伴うことが多い。挿絵は主だったエピソードを絵画化し、挿絵の多いものはさらに細かなエピソードをとりあげるが、描かれる場面はおおよそ定まってきているように思う。全体を見ていくと、〔表2〕に示したように概ね共通して文太追放場面、文正繁栄場面、中将らによる管弦場面が、他の場面の倍の長さ、大きさで描かれていることが分かる。豊かな大宮司邸の様子が分かる文太追放場面は、最初の絵画化場面であること、その後の文正邸と対比する役割があり、文正が長者となって暮らす様子と中将と― 56 ―― 56 ―

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