姉姫の場面は、主人公である文正の出世と幸せな婚姻のきっかけとなる中将と姉君の出会いというこの物語の核となるエピソードであり、象徴的な場面と言え、挿絵においても重要視されていたと考えられる。途中から主人公は文正から中将に変わり、姫君と結ばれるまでの各エピソードが描かれる。テキストでも似たようなやりとりが繰り返される求婚のエピソードは、挿絵においても国司や中将らの描写に混乱が見られるなど、細かい点ではテキストとは異なる誤った描写もいくつか確認できるが、大宮司や文正、姉妹、中将といった主要人物は異なる場面においても同じ文様の衣を身に付け、描き分けがされるなど、物語を理解して描いていたことがうかがえる点もあり、基本的にはテキストに基づき、場面の判別ができる描写がなされている。また、他作品の絵画イメージに拠った描写もいくつか見られる。白絵屏風や白い調度で囲まれた出産の場面は様々な物語絵画作品に見られ、塩焼きの作業を描いた浜辺の光景は塩づくりの様子や海辺の風景を描いた風俗図に、調理や酒宴の場面は「酒呑童子絵巻」や「酒飯論絵巻」などに見出すことができる。また、テキストの中でも『伊勢物語』や『源氏物語』にまつわる記述があるように、挿絵においても室内に集まる貴族や姫君の姿はそうした物語絵画を彷彿とさせる(注5)。『文正草子』は伝本が相当数残っている作品だが、ほとんど大筋が変わらないという点は大きな特徴であり、挿絵においても同様にテキストから派生し変容していく描写はあまり見受けられない。2.類似する絵巻について続いて、具体的な作例について見ていきたい。近年新たに学習院大学文学部哲学科の所蔵となった「文正草子」絵巻1軸(913.49A/B89b)について調査する機会を得た(以下、学習院本と称す)。学習院本は、おそらくもとは3巻本の下巻にあたるもので、絵は濃彩で、調度や着物の文様が細かく丁寧な描写が見られ、専門絵師の手によるものと思われる作である。特徴的な場面描写としては、管弦場面での人物の配置や右斜めに吹き上げられる御簾の描写や〔図1〕、中将の正体が判明する場面で両手を挙げて今にも走りだしそうなポーズで描かれる文正の姿などがあげられる。テキストは寛永版との異同が目立つ。ところで、山本陽子氏や三戸信恵氏の研究によって、明星大学蔵の絵巻3軸(以下、明星本)(注6)、チェスター・ビーティー・ライブラリィ蔵のCBJ1186絵巻2軸、CBJ1178絵巻1軸(注7)、茨城県立歴史館蔵の六曲一双屏風(以下、茨城本)(注8)― 57 ―― 57 ―
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