と、東海大学附属図書館蔵の絵巻3軸(注9)は、構図やモチーフ、場面選択の点で類似することが説かれている。確かに、明星本とCBJ1186の本文を検討していくと、テキストにおいても寛永版との異同が概ね共通していることから近い関係にあることが分かる。茨城本は、物語を直接屏風に描いたものではなく、当初絵巻だったものを、1紙ずつに分けて屏風に貼りつけたものである。テキストをみていくと、途中が大きく欠落しており、3巻本の絵巻のうちの上、下巻のみが現在の屏風に仕立てられたものと考えられる。現存部分のテキストは細かな異同はあるが、寛永版に近い。明星本らと画風は異なるものの、学習院本よりは図様の類似が認められる。学習院本はこれらの絵巻群と描写はやや異なるものの、場面選択は一致し、管弦場面をはじめ〔図2〕、各場面の構図も似通っていることから、挿絵において同系統に分類されるものと考えられる。また、テキストにも注目したい。完本が少なく、全体を比較できないのが残念だが、それぞれやや違いが見られる。基本的にはみな寛永版に拠ったものではあるが、学習院本は途中に異同が増加する部分があり、明星本、CBJ1186は中将らが和歌を詠むくだりと中将が管弦後に姉君の元を訪れる場面に大きな違いが見られる。この和歌については、寛永版は5首をただ羅列するだけに対し、明星本などでは地の文も差し込まれながら文脈に沿って詠まれている(注10)。三戸氏がCBJ1186の寛永版とは異なる和歌の並びから「寛永版本と同一の祖本を下敷きとしながら、祖本をより忠実に踏襲したものであり、寛永版本と平行して流布していたと考えられる。」と指摘されていることは注目すべきだろう(注11)。挿絵においても寛永版と場面選択は共通するところもあるが、描写は異なり、また絵巻の方が場面数も多いことから寛永版にはない場面も見られ、図様の典拠が他にあったのではないかと考えられる。特に茨城本は寛永版に忠実ながら挿絵までは継承していない点は気になるところである。現存する多くの諸本は寛永版に属すると言われているが、和歌の並びや挿絵に関しては一致しないものも確認できるため、版本の祖本や別に流布していた写本等が存在していた可能性が高く、学習院本や類似する絵巻類は寛永版とのテキスト、挿絵の違いからそうした別系統に属するものと考えられる。この点については写本も含めて今後改めて検討していく必要があるだろう。3.屏風作品についてもう1つ気になる作例をみていきたい。個人蔵(以下、個人蔵本)、茶道資料館蔵― 58 ―― 58 ―
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