鹿島美術研究 年報第36号別冊(2019)
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注⑴奈良絵本国際研究会議編『御伽草子の世界』三省堂、1982年る。最後に、テキストについてもみていきたい。早稲田本が一番寛永版に近いが挿絵は異なり、海杜本、CBJ1011も異同が多く、直接的な書写関係はないように思われる。興味深いことは、中将らが山中で詠む和歌の順番について、CBJ1011、CBJ1019は先にあげた明星本、CBJ1186と一致している点である。また、テキストは寛永版に属しながらも、挿絵は渋川版の場面選択と一致することも注目すべきだろう。先にあげた学習院本らのグループも渋川版と場面選択の一致は見られ、特に下巻においては共通する部分が多い。図様が全て一致するわけではないが、特に絵巻は横長の構図が共通することもあり、何か関わりがあったのではないかと考えられる。渋川版の挿絵と近い横本写本もいくつか見受けられ、今後はそうしたものも比較検討し、渋川版がどのように作られたのか、特に挿絵のイメージが何に拠ったものなのか明らかにしていきたい。おわりに以上、〔表1、2〕にとりあげた作例の書誌情報と場面選択についてまとめ、テキスト、挿絵に注目し分析を試みた。寛永版に拠りながらも和歌の異同や挿絵の違い、渋川版との挿絵の類似も見受けられ、例えば寛永版、渋川版双方の要素を持つような伝本が存在していたと考えられる。『文正草子』は伝本が多く現存し、それぞれに異同が見られるが、大筋がほとんど変わらないという点は大きな特徴と言えるだろう。挿絵においても定型化が進みそれほど独創的な描写がなされることはなく、絵本絵巻類以外のメディア、黄表紙や浮世絵、浄瑠璃・歌舞伎の題材として取りあげられることは少ないように思われる。立身出世、玉の輿というおめでたさに重きをおかれ、婦女子に読まれるもの、婚礼調度という機能に終始し、それ以上の発展はやや乏しかったように思われる。とは言え、これほどの数が残っていることから様々なテキスト、挿絵が存在し、一つ一つ見ていくことが不可欠だろう。多くは3巻本ということもあり、翻刻や全図が紹介されるものは少なく、研究はまだまだ発展途上にある。今後もより多くの伝本をテキスト、挿絵の双方から分析し、『文正草子』がどのように享受されていたのか考察を続けていきたい。― 60 ―― 60 ―

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