鹿島美術研究 年報第36号別冊(2019)
75/643

蔵資料館正草子図屏風」―――――――――――――――――先名(1624−44)刊丹緑本2年(1653)刊4年(1664)長尾平兵衛板上下二冊7年(1694)浅見吉兵衛板初上下合一冊(1688−1704)甚左衛門板(1716−1736)良兵衛板11年(1671)開板 後印(1688−1704)九左衛門板正徳(1704−1716)屋喜左衛門板3年(1713)西村屋板4年(1658)刊風月庄左衛門板頃丹緑横本版御伽草子(横本)院大学文学部哲学科正草子」大学んしやう」スター・ビーティー・ライブラリィJ1186 「文正草子」スター・ビーティー・ライブラリィJ1178 「文正草子」県立歴史館正草子」屏風博物館正草子物語図屏風」スター・ビーティー・ライブラリィJ1011 「文正草子」良絵本絵巻集6』所収本んしやう」見える杜美術館正草子」スター・ビーティー・ライブラリィJ1019 「文正草子」スター・ビーティー・ライブラリィJ1032 「文正草子」本の書誌情報、寛永版との関係については、『室町時代物語集 第五』(横山重、太田武夫校訂、大岡山書店、1942年)の解題を一部まとめたものである。欄箇所は未見のため不明である。版本 書誌情報上:むかしよりいまにいたるまてめてたきことをきゝ下:さるほとにこれをひやうゑのすけみかとめ参らせ上下合一冊上:むかしよりいまにいたるまでめでたきこと下:さるほどにこれをひやうへのすけみかどめ参(まい)らせ上:むかしよりいまにいたるまでめでたきことをきゝ下:さるほどにこれをひやうゑのすけみかどみ参らせ上下二冊下:さるほとにこれをひやうゑのすけみかど上:むかしよりいまにいたるまでめてたきことをきゝつたふるに下:さるほとにこれをひやうゑのすけみかどめまいらせ給ひ□の上:むかしよりいまにいたるまでめでたき事をきゝ下:さるほどに是をひやうゑのすけみかどめ参(まいら)上下二冊上下二冊上下二冊上下合一冊上下合一冊上:むかしよりいまにいたるまてめてたき事をきゝつたふるに中にもいや下:あくれは又たち出給ふに年のよはひ七八十はかりなるおきな山中に出申けるはをの〵〳いか成人上:むかしよりいまにいたるまでめでたき事下:さるほどにこれをひやうゑのすけみかどめまいら上下合一冊上下合一冊上:むかしよりいまにいたるまでめでたき事下:さるほどにこれをひやうゑのすけみかどめまいら上下二冊上:それむかしがいまにいた 中:かどのほどよりあなめ下:やかてみだうへまいり御上中下三冊上中下三冊形態制作年法量(cm)絵巻1軸/下のみ(上・中欠)紙本着色33.2×1333.8行徳家旧蔵絵巻3軸紙本着色縦33.1横: 上1334.9、中1365.8、 上:―中:―下:其のち心もこと葉もをよはぬ手はこにう上:むかしよりいまにいたるまてめてたき中:それより大くうしとのをいそきめし下:そのゝち心もことはもをよはぬてはこに下1329.6絵巻2軸/中・下のみ(上欠)紙本着色縦32.6 横: 中1397.6、 中:それより大くうしとのをいそきめして下:そのゝち心もこと葉もをよはぬ手はこ下1412.4絵巻1軸/ 絵のみ (中の一部と下部分)紙本着色33.0×538.0六曲一双/上・下のみ(中欠)紙本着色江戸時代作175.9×344.4六曲一双紙本着色六曲一双紙本着色六曲一隻紙本金地着色江戸時代109.0×143.2(123.3×157.2)絵本3冊袋綴じ30.0×22.2絵本3冊袋綴じ30.0×22.5上:むかしより今にいたるまてめて度ことを聞傳ふ下:そのゝち心もことはもをよはぬてはこにうつくしき上:むかしより今にいたるまてめてたき事をきゝ中:さるほとにこくし此事を聞給ひて今あはん下:さるほとに文しやう申けるはたひはよのつね心上:「むかしより今にいたるまてめてたき事を」中:「大くうしとのをいそきめしてなにとなく」下:「さるほとにふんしやう申けるはたひはよの」絵巻3軸紙本着色江戸時代前期上32.0×1126.6、中32.1×1657.5、下32.0×1432.8写本1冊(70丁)/(白描風)列帖装23.6×17.3 上:むかしよりいまにいたるまてめてたき中:さるほとにこのくにはてんかの御れう下:中将とのをはしめまいらせをの〵〳額装8面/絵のみ(白描風)24.9×18.1巻の区切り巻の区切り寛永版との関係無彩色本もあり。刊本としておそらく一番古いもの。これ以降の刊本の祖本となる(丹緑横本を除く)。寛永版とほぼ同じ。挿絵は見開きだったものが全て半丁に。寛永板の本文を割合丁寧に模刻したもの。濁点や句読点を多くつける。挿絵も寛永板を模倣。見開きの挿絵を一頁分に縮めて新しい構図に仕立てている。小本。雛形本。本文は寛永板に拠る。挿絵は寛永板からやや構図を変えているとことがある。巻頭に「ひいなあそひのゆらひ」と内題した四丁分の文章が添えられている。寛永版を複刻したもの。ごく少数の相違はあるが、複刻した本の中では一番正確。寛永板から直接複刻したもの。挿絵は寛永と元にしながらも意匠をこらす。サイズは同じ。寛永板を江戸で複刻したもの。所々に改悪、誤脱したところがある。松会寛文十一年板をそのまま複刻したもの。本文は松会と一致。挿絵はやや異なる。山本九左衛門板をさらに複刻したもの。本文は全て一致。松会板とも一致。挿絵も山本板の複刻だが、やや省略したところもある。山本板を複刻したもの。挿絵も山本板だが、全部の挿絵の下の方を二分くらいから切り落としている。最後の見開きは省略している。山田市良兵衛刊か。寛永版を少しずつ省略している。「袖の月も」と「うらやまし」式明暦4年山田板をそのまま覆刻したもの。挿絵はやや相違がある。他の刊本とは系統を異にする。渋川版の祖本。寛永丹緑横本を忠実に複刻している。寛永版との比較同が多く見られる。特に、中将と姉君の夜の逢瀬から都で母と会うまでの間は異同が増える。異同が見られる。大きく異なる点は、中将一行が和歌を詠む場面と中将が管弦後に姉君の元を訪れる場面。異同が見られる。大きく異なる点は、中将一行が和歌を詠む場面と中将が管弦後に姉君の元を訪れる場面。仮名漢字表記、仮名遣いの相違や、小異はあるが、寛永版に極めて近い。異同が多く見られる。仮名漢字表記、仮名遣いの相違や小異はあるが、寛永版に極めて近い。異同は多く、錯簡、重複部分も見られる。大きく異なる点は、中将一行が和歌を詠む場面と下巻末尾。異同は多いが、基本的には寛永版に近い。1,2文字程度の異同や寛永版にはない言葉が多く見られる。中将一行の和歌の場面は異なる。写し損ね、落丁か一部抜けあり。―中将一行と翁の詠む和歌(読み人を頭文字のみ記す)「袖の月も」と「うらやまし」し「身にしれは」二「さなきたに」ひ「くものうへに」お「袖の露も」た「うらやまし」し「身にしれは」二「さなきだに」ひ「雲(くも)のうへに」お「袖の月も」と「うらやまし」し「身にしれば」二「さなきだに」ひ「くものうへに」お「袖の月も」と「うらやまし」し「身にしれは」中「さなきたに」ひ「くものうへに」お「袖の月も」と「浦山し」し「身にしれは」二「さなきたに」ひ「雲の上に」翁「袖の月も」と「うら山し」し「身にしれは」二「さなきだに」ひ「くものうへに」お「袖の月も」と「浦山し」し「身にしれは」一「さなきたに」兵「雲の上に」翁「袖の月も」と「浦山し」し「身にしれは」二「さなきたに」兵「雲の上に」翁「袖の月も」と「うら山し」し「身にしれは」二「さなきだに」ひ「雲の上に」お「身にしれは」二「さなきたに」ひ「くものうへに」翁「袖の月も」と「うらやまし」式「身にしれは」二「さなきだに」ひ「くものうへに」翁中将、兵衛の介、式部大夫、頭の介、翁の詠む和歌中「身にしれは」ひ「さなきたに」し「うらやまし」た「袖の露も」「雲のうへに」中「身にしれは」ひ「さなきたに」し「うらやまし」た「袖の露も」お「雲のうへに」中「身にしれは」兵「さなきたに」し「うらやまし」と「袖の露も」お「雲のうへに」5首羅列さ「うらやまし」し「袖の露も」二「身にしれは」ひ「さなきたに」お「雲のうへに」ち「身にしれは」ひ「さなきたに」と「そての月も」式「うらやまし」お「雲のうへに」中「身にしれは」ひ「さなきたに」し「うらやまし」た「袖のつゆも」お「雲のうへに」表1 各作品の書誌情報― 63 ―― 63 ―

元のページ  ../index.html#75

このブックを見る