鹿島美術研究 年報第36号別冊(2019)
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⑦ジャン=フランソワ・ミレーの宗教画─《無原罪の聖母》を中心に─研 究 者:山梨県立美術館 学芸員  太 田 智 子はじめに19世紀フランスの画家ジャン=フランソワ・ミレー(1814-1875)は、パリで活動したのち、フォンテーヌブローの森に隣接するバルビゾン村に移住、同地で自然とともに生きる農民の姿を描き続けた画家として知られている。一方で、特に画業初期には肖像画を描いて生計を立てていたほか、神話を主題とした作品も制作しており、さらに、数は少ないながら宗教画も残している。こうした宗教画の一つである《無原罪の聖母》〔図1〕(以下、本作)が山梨県立美術館に所蔵されている。1858年に制作された本作は、ときの教皇ピウス9世(在位1846-1878)に献上された鉄道車両のために描かれたものであった。ピウス9世は、長きにわたり信仰されてきた聖母マリアの「無原罪の御宿り」という教えを1854年に教義と定めた教皇であり、ミレーはそのわずか4年後にこの主題の作品制作を依頼されたのである。車両はピオ・ラティーナPio-Latinaという会社によりフランスで製作され、フランス政府からヴァチカンに贈られた。教皇が利用したものの、イタリア王国によるローマ占領が行われた1870年以降は使われることはなく、さまざまな場所に移された。しかし2016年11月から、ローマのカピトリーニ博物館所属のチェントラーレ・モンテマルティーニの特別な展示室で公開されている。しかしながら、車両を展示する博物館には、この車両のために描かれたミレーの作品があったこと(現存すること)について、全く情報が残されていない。また、ミレーの研究においても、その最初期の研究書であるところのモロー=ネラトンの著作の記述を基礎とし、宗教画の一作例として言及されるに留まることがほとんどであり、制作の背景や車両での設置状況などは詳しく研究されてこなかったと言える。本稿では、車両と文献の調査からこれらの問題について検討するとともに、ミレーの画業における本作の位置づけについて考えてみたい。1.先行研究と車両・作品の来歴について本作に関する先行研究を振り返ると、ミレーの支援者であったアルフレッド・サンシエ(1815-1877)によるミレーの伝記(1881年)と、エティエンヌ・モロー=ネラトン(1859-1927)による研究書(1921年)が基本となる(注1)。二つの文献が伝えるところによれば、本作は、ともにバルビゾン村に暮らし制作を行った親友の画家ピ― 66 ―― 66 ―

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