鹿島美術研究 年報第36号別冊(2019)
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ピウス9世とナポレオン3世の動向に関係したとするとともに、ミレーとジェロームという二人の画家の関わりが、第二帝政期の政策にもつながっているとしている。2.車両での設置状況本研究では、本作が車両内にどのように設置されていたかを明らかにするべく、ローマで展示されている車両の実見を行った(注8)。この車両製作の指揮には前述の技師デュクロのほか、帝国工芸院の教授であったトレラことエミール・トレラ(1821-1905)が当たった。車両は、電気メッキされた金属板の車体にさまざまな装飾が施された豪華なもので、3つの部分から成っている〔図4、5〕。展示する博物館では、この車両全体を礼拝室CAPPELAと呼称している。本研究により、フランスでの製作当時の資料が見つかり、3つの部屋それぞれの名称などが判明したため、以下その名称に従うこととする(注9)。入口の間ANTICHAMBRE、玉座の間SALLE DU TRÔNE、寝室CHAMBRE A COUCHERである。これらの3つの部屋のうち、特に中央の玉座の間が最も重要な部屋であり、天井画をジェロームが手がけた〔図6〕。ヴォールトによって4つに分かれた天井には、それぞれ、蒸気船を祝福するピウス9世、蒸気機関車を祝福するピウス9世、天の父、パウロとペテロを従えたイエス・キリストが描かれている。部屋を囲むように、ヴォールト自体や柱にも装飾が施され、カンボンという装飾画家によりカトリックの擁護者たる国々の紋章が描かれている。この間の奥、当時玉座が置かれていた場所の右側に、教皇の私的な場である寝室の入口がある。当時はカーテンで区切られていた。現在寝室の内部は、衝立によって、入口、窓際の空間、祈祷台の置かれた礼拝スペースに分けられている。この車両自体がさまざまな変遷を経て現在に至っているため、おそらく内部も製作当初のままではないが、教皇の私的利用のための場としての性格は保たれている。入口を入ると衝立があり、左の窓際へと移る。そのスペースから回り込むかたちで、衝立裏の礼拝スペースへと至る。そこに教皇が跪いて祈りを捧げるための黒い祈祷台が置かれている〔図7〕。高さ約1メートルの祈祷台の上に、衝立の裏の部分がある。ボッジの論文に依拠するならば、おそらくここに本作は掲げられていた。車両はヴァチカンにおくられる前に、12月25日から月末までパリのパレ・ド・ランデュストリで一般に公開された(注10)。この時の記事には、やはり祈祷台の上にミレーの聖母の絵があったと記述されるが、内部を描いた挿図に本作は含まれていない(注11)。しかし本研究において、本作の設置場所を明確に示す資料が見つかった。― 68 ―― 68 ―

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