鹿島美術研究 年報第36号別冊(2019)
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ヨーロッパから亡命者や避難者としてやってきた芸術家にとって、ピエール・マティス画廊が隠れ家、手形交換所、喫茶店を兼ねた場所であるという噂が広まった。ニューヨークのほかに行く宛のなかった根なしの芸術家たちは、ピエール・マティスの寛大な眼差しの下、そこに荷物を置き、友人と会い、「コーヒーとデニッシュ」を頼み、一日中話して過ごすことができたのである。(注2)こうした中、1942年にピエール・マティス画廊で開催された「亡命芸術家」展(1942年3月3日~28日)は、ヨーロッパとアメリカの美術交流において最も重要な展覧会の一つであったということができる。同展には、マックス・エルンスト、アンドレ・マッソン、イヴ・タンギー、クルト・セリグマン、ロベルト・マッタ、アンドレ・ブルトン、ピート・モンドリアン、フェルナン・レジェ、アメデエ・オザンファン、オシップ・ザッキン、ジャック・リプシッツ、マルク・シャガール、パヴェル・チェリチェフ、ウージェーヌ・ベルマン、総勢14名の作家が出品した。同展は、シュルレアリスムと抽象という当時の二大潮流を代表する作家が一堂に会した稀有な機会となったのである。そのため、この展覧会を機に撮影された集合写真〔図1〕は、各芸術家の亡命期を象徴するイメージとして、数多くの論考に掲載されてきた。また、同展はアメリカにとっては、ヨーロッパの最新の動向を一望できる機会であり、また、実際に彼らが滞在していることをアメリカ国内に知らしめる機会にもなったのである。しかし、このような記念碑的な展覧会にもかかわらず、この展覧会に関する先行研究は少ない。管見の限り、当時の展覧会の様子や言説について言及した論考は見当たらない。そこで、この展覧会を戦時下におけるヨーロッパとアメリカの美術交流の結節点と位置付けた上で、関連する資料の調査を実施した。特に、ニューヨークのモーガン・ライブラリー・アンド・ミュージアム(The Morgan Library & Museum)が所蔵するピエール・マティス画廊アーカイブズ(Pierre Matisse Gallery Archives)(以下、PMGA)の調査や、同展に関する当時の雑誌や新聞等の記事から亡命芸術家に対する批評を収集した。これらの資料を用いて、「亡命芸術家」展の展示構成や、当時の亡命芸術家に対する言説を検証することによって、第二次世界大戦下におけるピエール・マティス画廊がヨーロッパとアメリカの美術交流の場として果たした役割の一端を明らかにしたい。2.「亡命芸術家」展について「亡命芸術家」展に関する主たる資料としては、展覧会カタログとして発行された― 78 ―― 78 ―

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