鹿島美術研究 年報第36号別冊(2019)
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わずか8ページの小冊子〔図2〕が挙げられる。同書は出品作家の集合写真と、2篇の論考(ジェームズ・スロール・ソビー「ヨーロッパ」とニコラス・カラス「アメリカ」)、作家名と作品名だけが記載された出品目録〔図3〕から成っている。なお、出品作品が判別できる図版は掲載されていない他、PMGAにも会場写真は残っていない。そのため出品作品を辿る手がかりは、展覧会カタログに掲載された出品目録と、当時の雑誌に掲載された展評、および、PMGAに残された資料となる。当時の展評で画像を掲載しているものは、1942年3月15日に発行された『アート・ニューズ』誌のみである〔図4〕。同誌からはセリグマン、マッタ、エルンストの作品を特定することができる。これら以外は、同展の出品目録に記載された「作家名、作品名、制作年」から、各作家のカタログレゾネやモノグラフに掲載された作品を通してある程度同定することが可能である。しかし、各作家のレゾネやモノグラフには、展覧会歴として同展への出品が記載されていないものも多い。モンドリアンの作品も同様であり、「“Picture” 1935-42」に該当する作品はレゾネになく、出品履歴も「?」となっている(注3)。しかし、この点については、PMGAに残されたピエールからモンドリアンに宛てた葉書に、モンドリアン本人から「そのタイトルは《ピクチャー》(1935-1942)」(1942年2月20日消印)という指示があったことや、さらに「その寸法は42-24インチ」(1942年2月25日消印)とあり、縦長の作品が出品されていたことが判明した(注4)。その他、オザンファンの作品についても、彼のレゾネに同タイトル、同制作年の作品は2点存在し、どちらかを特定することはできていない。また、シュルレアリスム運動の主導者であるブルトンによる《ポエム=オブジェ 行為者A・Bの肖像》は、後に作品が散逸したことで知られ、現存していない。しかし、その図版は彼の著書『シュルレアリスムと絵画』に掲載されており、作品のモノクロイメージを確認することができる。同書の中で、ブルトンは「ポエム-オブジェについて」(注5)という論考を残しており、初出不明となっていた(注6)が、PMGAにその初出と思われる資料が含まれていた。ピエール・マティス画廊の顧客向けに作成したであろう出品作家の略歴が書かれた書面がそれである。そのため、「ポエム⊖オブジェについて」は、この展覧会に際して書かれたものと考えられる。これら出品作品に関する調査を通して、判明した事柄は一覧〔表1〕にまとめている。次に展示構成について確認していきたい。PMGAの中で、「亡命芸術家」展に関する資料は「Box97 Folder 04-06」にまとめられているが、その内「Box97 Folder 05-06」は展覧会カタログの複本をまとめたフォルダになっているため、「Box97 Folder 04」(注7)の資料が鍵となる。その中には、先述のモンドリアンからピエール宛の葉書や、― 79 ―― 79 ―

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