鹿島美術研究 年報第36号別冊(2019)
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カに住み、ここで仕事をしていることなのである。(注10)ここでは、亡命芸術家がただアメリカにいるというだけでは、「ニューヨークが世界の芸術の中心地」にならないと指摘した上で、「アメリカの芸術にとって」重要なことは、彼らの作品がアメリカにあることではなく、実際に彼らがアメリカに住んで、作品制作に取り組む姿から学ぶことであるとしている。続いて、ピエール・マティス画廊で開催された「亡命芸術家」展のカタログに掲載された2つの論考を確認したい。同展のカタログには、ジェームズ・スロール・ソビーによる「ヨーロッパ」と、ニコラ・カラスによる「アメリカ」の2編の論考が掲載されている。ソビーによる「ヨーロッパ」から見ていきたい。ここに生活のため、制作のためにアメリカへやってきた14人の芸術家たちがいる。彼らはひとくくりにできないグループである。しかし、全員が、自分たちの時代の美術に独創性と威厳をもたらしてきた類い稀な人々の集団の一員である。彼らの存在は重要なことにも、取るに足らないことにもなりうる。彼らの存在は一つの時代の始まりを意味しうる─自由で寛大なアメリカ的伝統が、この国を中心とした美術における新たな国際主義を実現させるような時代を。あるいは、それは正反対のことを意味するかもしれない。つまり、アメリカ人の美術家とその後援者が外国人嫌悪の集団を形成し、彼らが立ち去るのを待ち、我々の芸術を過去のままにとどめるような状況である。〔中略〕これら14人の芸術家たちは我々に高次の芸術をもたらした。したがって、彼らの繁栄だけでなく、我々のためにもこう言おう、「ようこそ、そしてお帰りなさい」と。(注11)ここでもまた、亡命芸術家の到来に伴い、彼らの受入れ方がアメリカ美術の今後を占う問題として取り上げられている。この「ヨーロッパ」対「アメリカ」という対立構図を、ソビーは「国際」対「愛国」の構図と重ねている。こうした対立構図は彼が所属していたニューヨーク近代美術館において、実のところ、その開館当初から抱えていた問題でもあった(注12)。特に、それが先鋭化するのは、同館で1936年に開催された「キュビスムと抽象芸術」展および「幻想芸術、ダダ、シュルレアリスム」展以降のことである。これらの展覧会はアメリカ人の抽象画家を中心とするAAA(American Abstract Artists)結成に繋がるなど、ヨーロッパ至上主義のモダンアート史観に対するアンチテーゼは年を追うごとに勢いを増し、第二次世界大戦の勃発によっ― 82 ―― 82 ―

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