て決定的となっていたと言えよう。ソビーのテキストはそうした状況下への配慮が窺えるものの、敵対することなく手を取り合うことによって互いの繁栄を願うものであり、非常に政治的配慮が行き届いた文章になっている。他方、カラスによる「アメリカ」と題されたテキストは、ソビーの政治的配慮がなされた内容と比較すると、より巨視的な歴史観から亡命芸術家の到来について述べていることが窺える。例えば、フランスのゴシック様式の彫刻がイタリアで知られるようになったとき、イタリア美術は恩恵を受け、イタリアは初期のフィレンツェの巨匠による作品をフランスとフランドルに伝えることによって報いた。もし、パリ派の画家・彫刻家が成し遂げた優れた成果が前途有望なものであるならば、亡命芸術家の作品はアメリカの生活に移植されねばならない。(注13)このようにカラスは、亡命芸術家の到来に対して、イタリアからフランスに美術の中心地が移行したという歴史と、今回の亡命芸術家の到来を重ねた上で、今度はフランスからアメリカへ美術の中心が移行しつつあると述べているのである。続いて、「亡命芸術家」展に対して書かれた展評を見ていきたい。美術批評家エミリー・ジェノーアーはこのように述べている。これら想像力溢れる亡命画家・彫刻家との直接的な接触は、アメリカ美術、そしてアメリカ人の美術家にどのような影響を及ぼすのだろうか? ダイナミックなアメリカの生活との接触は彼ら〔亡命画家・彫刻家〕やその作品にどのような影響を及ぼすのだろうか? これらは誰にも今すぐには回答できない疑問である。そのため、この展覧会はどちらかといえば歴史的な記念碑として位置付けられよう。(注14)ここでもやはり、亡命芸術家との接触がアメリカ美術にいかなる影響を与えるのかという問題が取り上げられている。先に見た『アート・ニューズ』誌同様、読者に疑問を投げかけることによって、アメリカ美術の「国際」対「愛国」という分岐点にある現状を伝えている。最後に、1942年3月15日発行の『アート・ニューズ』誌に掲載されたロザムンド・フロスト「亡命の最初の成果」を確認したい。フロストは、「亡命芸術家」展に対し― 83 ―― 83 ―
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