鹿島美術研究 年報第37号別冊(2020)
105/688

― 93 ―― 93 ―勧業博覧会報告書」を見ると、鋳造した如雲の技量を褒めつつ、一方で、暁斎の名は出ていないものの下絵に関しては酷評されている(注16)。(2)錦絵暁斎は、第二回内国勧業博覧会の開催された明治14年、《東京名所之内上野勧業博覧会図》〔図12〕と《東京名所之内上野山内一覧之図》〔図13〕という錦絵を出版している。どちらも三枚続の大判錦絵で、博覧会の会場であった現在の上野公園を描いたものである。両作ともに、図様から明治10年(1877)の第一回内国勧業博覧会にあたって制作された錦絵《上野公園地内国勧業博覧会開場之図》〔図14〕と《東京名所之内上野山内一覧之図》(河鍋暁斎記念美術館所蔵)を第二回内博にあたって改変したものと分かるが、《東京名所之内上野勧業博覧会図》では、画面中央の建物を第二回内博で象徴的なジョサイア・コンドル設計の美術館に描き改めていないのに対し、《東京名所之内上野山内一覧之図》では大きく描き直されている。第二回内博にあたって出版された他の画家の錦絵を見ても、美術館を大きく描いている作例は多く〔図15〕、また、『東京日日新聞』に掲載された会場図を見ても、表門からさらに中門を抜けたその正面に建てられていることから、第二回内博において最も主要な建物と見なされていたことが窺える。コンドルはこの博覧会を契機に暁斎に弟子入りしたとされており、本博覧会は暁斎とコンドルの交流の出発点としても重要である。おわりにここまで、暁斎と第二回内国勧業博覧会の関わりについて、現存している出品作である《花鳥図》と《枯木寒鴉図》、さらに銅製置物等の関連作例から考えてきた。暁斎のほかの博覧会、展覧会への出品数と比較しても最多である4作品を出品し、さらに工芸作品の下絵や錦絵2点を制作するという関連作例の多さは、そのままこの博覧会に対する暁斎の意気込みや関わりの深さを示していると言えるだろう。出品作のうちふたつが現存していないのが悔やまれるが、《花鳥図》と《枯木寒鴉図》を比較すると、前者は濃密な彩色花鳥画、後者は単色の水墨画と、描く手法も完成した画面の趣も全く異なっている。《枯木寒鴉図》は、逸話のとおり、確かに暁斎のそれまでの絵師としての鍛練の結晶たる作品だが、《花鳥図》の繊細な筆づかいや彩色を見ると、こちらの方に極めて多くの制作時間が割かれたことが推測される。コンドルの記録によると、暁斎の代表作のひとつ、《大和美人図》中の椿は、花弁の色の微妙な濃淡を表すために、濃さや位置を変えつつ幾度も生臙脂を塗り重ねたという(注17)。《花鳥図》中のサザンカも、実見するにおそらく同じような工程を経ていると思われ、そう

元のページ  ../index.html#105

このブックを見る