― 101 ―― 101 ―(7)外箱(1)「其九絵彩四季桜」について狂歌:「蜀山人(南畝の号)」の署名。 画 :「歌川豊国畫」の署名、朱文方印「一陽斎」、白文円印「豊国」の印章。屏風は木製の外箱に入れて保存されている〔図2〕。外箱は外側が黒色で塗られており、文字情報等は見られない。屏風は柿渋らしきものを塗った反古紙に包まれていた。反古紙には機械によると思われる印刷がなされているものがあることから、梱包は近代以降になされたと推察される。 2.舞踊「其九絵彩四季桜」と歌右衛門関連の刊行物本屏風の主題である「其九絵彩四季桜」の舞踊は、文化十二年(1815)三月六日に江戸・中村座にて興行された「五ごだいりきいろのみなと大力艶湊」の大切所作事として上演されたものである。本舞踊は歌右衛門が得意とした変化舞踊であり、九人の異なる人物を演じ分ける八種の曲から構成される(注1)。「其九絵彩四季桜」が当時どのような評価を得ていたかについて、同時代に刊行された『役者評判記』を参照する。『役者評判記』は、毎年正月に刊行された各役者についての批評書で、前年の十一月に行われた「顔見世興行」を中心に記されるものであったが、評価が高かった演技については顔見世興行以外の演技についても取り上げられている。文化十三年(1816)の正月に刊行された評判記『役者謎懸論』の歌右衛門の項目を見てみると、位付等の総合評価の記述に続いて「其九絵彩四季桜 九役の所作事 第一 文使娘 はご板の所作はれい〳〵うしろを見せて着物をぬぐこと」とあり、それに続いて「第二 老女、第三 酒やの丁稚…」と九役とその所作事を端的にまとめたものが記されている。評判記に各歌の内容まで記されることは珍しく、このことから文化十二年中の歌右衛門の舞台の中でも「其九絵彩四季桜」が特に高い評価を受けていたことが分かる。他にも、歌右衛門についての総集的資料『許多脚色帖』(注2)にも「其九絵彩四季桜」に関連する資料として、番付や長唄の正本、肉筆画、その他にも戯画、舞踊の内容に合わせて作られた料理の献立に至るまで掲載されており、本舞踊の注目度の高さを裏付けるものとなっている。(2)文化十二年の中村歌右衛門の活動 歌右衛門は文化十一年(1814)の六月から二度目の江戸下りを行い、文化十二年(1815)十一月に帰坂している。歌右衛門はこの時期になると江戸でも第一級の役者
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