鹿島美術研究 年報第37号別冊(2020)
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② 美人から雷や石橋獅子といった多様なモチーフが描き分けられている。③ 豊国は文化八年(1811)頃から画風が大幅に変化するが、その変化の完成形ともいえる作例である。人物の相貌や身体の描写において、最もバランスが取れた(頭部と身体の大きさや、相貌の各部の誇張の度合い等)時期の作品となっている。― 103 ―― 103 ―(1)本屏風から読み取れる豊国の画の特徴(2)各扇面の画の特徴(【 】は歌舞伎の外題、〔 〕は長唄の題名を示す)① 他の豊国の肉筆画作品と比べて一つの作品としては描写画面が広く、大作であ辻君の背中あはせのやつこらさやりもち月の前うしろめん」④左隻・第六扇〔図6〕:冬の歌「冬牡丹さくやこの〳〵花の名の 普賢象かも石橋の獅子」『七々集』: 「冬 江口の君 石橋冬牡丹さくやさくらの花の名の普賢象かも石橋の獅子」屏風に書かれた狂歌と『七々集』に載っている狂歌を比較すると、ほぼ同じ内容になっているが、一部に仮名と漢字という違いがある。また冬の歌だけは、屏風が「さくやこの〳〵」となっているのに対し『七々集』では「さくやさくらの」とあり、明らかな違いがある。(3)大田南畝と歌右衛門南畝は歌舞伎にも通じていたことで有名であり、多くの人気役者たちとの交流があった。その中でも歌右衛門との関係については随筆に頻繁に記載がある。ただし、南畝と歌右衛門の関係は当初は友好的なものではなく、上方の役者であった歌右衛門に対し、南畝は度々厳しい評価や批判を行っている。その後、年月を経て南畝は歌右衛門を一流の役者として認めたと思われ、最終的には南畝と歌右衛門は狂歌の師弟関係にまで発展した(注5)。このような関係から、歌右衛門を主題とした本屏風に対し、南畝が賛を寄せたものと考えられる。4.初代歌川豊国の画についてる。また彩色が非常に精緻になされている。①右隻・第二扇〔図7〕    画題は【文使娘】〔奥女中〕。春の舞踊。娘は右手に扇、左手に文箱を持つ。扇は金と銀で彩色されたと思われるが、銀は酸化して黒く変色している。衣装

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