― 115 ―― 115 ―家は、セルジェ、ピカソ、マチス、ブラック、初期のエルニ、ある時期のデ・クーニング、スーラジュ、サエッティ、ラウシェンバーグ、シーレー、ヤンセン、クリスト等々、新宮さんのモビールも早くから見かけた様だ。(注2)この証言から、戦前から大いに活躍した作家に混じって、戦後の抽象絵画の発展に貢献した作家―ベン・ニコルソン、ウィレム・デ・クーニング、ピエール・スーラージュらの名前が確認できる。実はここに挙げられた作家のほとんどは、小磯が旧蔵していた大量の画集や書籍の中にも散見され、小磯が当時の現代美術の傾向に関心を強めていたことがわかる。特に注目すべきは、小磯がニコルソンの作品を実際に入手し、模写をしていたことである。この事実は、当時小磯がニコルソンに触発されて抽象絵画に取り組んだ可能性を示している。その裏付けとして、1955年頃の小磯のアトリエ内部の写真〔図5〕を紹介したい。壁には自身の作品が掛け並べられているが、その中にニコルソンと思われる作品が掛けられている。上段の小磯作品《人間の構図》〔図6〕の寸法を踏まえれば、写真の作品が宮脇の証言した「三〇号位のニコルソンの作品」であることは間違いないだろう。ニコルソンの特徴である簡素な線で幾何学的にモチーフをとらえる視点と理知的な色面の配色は、小磯の《働く人びと》や《かぼちゃのある静物》の一要素として採用されたと推測できる。小磯は戦前から、独自の表現を追究するよりは、様々な国・時代から構図やモチーフを研究し、それらの影響関係や歴史的繋がりを自分なりに解釈した上で、現代の感覚をもって引用し制作することを得意としていた。小磯は、新たな表現を模索する中で、ピカソとニコルソンの間に美術史的な道筋を見出し、キュビスム的作風を試みたとは考えられないだろうか。そして、小磯が収集していた絵葉書のコレクション〔図7〕から、小磯が入手したニコルソン作品が1952年に開催された第1回日本国際美術展に出品された作品であることが明らかになった。実は、小磯自身もこの美術展に、アトリエに掛けられている《人間の構図》を出品しているのである。2.戦後の積極的な制作活動とその作風の変遷小磯の「変革期」における意欲的な制作過程を検証するにあたって、小磯が戦後どのような展覧会に重きを置いて自作を発表していたのかを明らかにしていきたい。特に注目されるのは、1936年の結成当時から参加している「新制作展」に加え、戦後多
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