鹿島美術研究 年報第37号別冊(2020)
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― 117 ―― 117 ―大掴みの描線やデフォルメされた人物を真正面から捉える構図などが、現代性を示すものとして評価されたのかもしれない。第三段階としては、主に女性像の“解体”が進行し、作風が分類し難いほど多様化した1960年代を設定した。この時期の出展作以上に興味深いのは、サインのない作品たちを含む試作群である。《踊り子達》〔図10〕や《海水浴とビーチボール》〔図11〕などには、挑発的なポーズをとる没個性的な女性が描かれており、小磯がかつて女性像に漂わせていた優美さは完全に失われている。このような抽象性の高い大胆な肉体表現は、1960年前後に集中して取り組まれている。1964年の現代日本美術展に出品された《静物》〔図12〕に目を向けると、家具や調度品類が密集している室内で、シンプルなシャツ姿の女性が一人、身をかがめて書き物をする様子が描かれている。最も目を惹くのは、画面右下部に表された鮮明な緑と赤の配置である。浅い色合いの空間に突如として現れる大胆な補色の組み合わせは、おそらくニコルソンへの関心によるものだろう。うつむいた女性の表情はほとんど見えず、その存在感はその他の無機質なモチーフや彩色に埋没している。この頃になると、人物を描いていたとしても作品名を「静物」として発表するケースが増え、人体をモチーフの一つとして捉える傾向が強まっている。出品歴および周辺の作品を概観すると、特に1960年代、静物として女性像を捉える制作をしている一方で、密やかに女性像そのものを激しく解体する試作を重ねていた特殊な期間の存在が見えてくる。これは、この時期に刺激を与えた作家や作品との新たな出会いが小磯に起こったことを示しているのではないだろうか。3.1960年、小磯良平の海外渡航の足跡について小磯は生涯で二度、海外旅行を経験している。一度目は青年時代で、東京美術学校卒業後の1928年から約2年間、フランスのパリを留学の拠点としてヨーロッパ各地を周った。この経験はその後の制作活動に多大な影響を与え、《コスチューム》や《練習場の踊り子達》など女性像や群像の傑作を生みだす基盤となった。そして二度目が1960年、小磯が東京藝術大学の教授を務め、神奈川と神戸のアトリエを行き来する多忙な生活の合間に、約半年をかけて世界各地を巡った海外旅行である。小磯が多様な表現を模索していたこの時期の渡航は、画家に大きな衝撃を与えたものと想定される。しかしながら、これまで渡航に関する主要な資料がほとんど見つかっていなかったことから、その足跡については推測の域を出なかった。明確にわかっていたのは、ま

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