鹿島美術研究 年報第37号別冊(2020)
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①パステル画家 矢崎千代二が、東南アジア近代美術史に果たした役割に関する基礎的研究研 究 者:京都工芸繊維大学大学院 工芸科学研究科博士後期課程修了(博士・先端ファイブロ科学) 横 田 香 世西 原 大 輔堀 川 理 沙広島大学大学院 教育学研究科 教授 シンガポール国立美術館 上級学芸員 バンドゥン工科大学 芸術デザイン学部 大学院長1 はじめに矢崎千代二(1872~1947)は、日本近代のパステル画を牽引した画家である。大幸館卒業後、東京美術学校で黒田清輝に学び、白馬会会員として油彩画を描いていたが、大正7年(1918)の中国への渡航を機に、旅先で使うパステルの利便性を実感するとともに多様な表現の可能性を看取し、パステル画に傾倒した。絵筆をパステルに持ち替えて世界各地を巡り、中国で客死するまで、光が織りなす一瞬の景色や、日常生活の情景をその場で活写した臨場感あふれる作品を数多く遺した。矢崎が日本におけるパステル画の普及に尽力したことは知られている。他方、例えばインドネシアでは、近代絵画の父として尊敬を集めるスジョヨノ(1913~1986)(注1)の師として知名度が高く、また戦後まもなくの中国で、徐悲鴻(1895~1953)と親交を深め、中国中央美術学院開学時における唯一の日本人指導者として位置づけられている。ところが、矢崎が海外で果たした具体的な活動については殆ど注目されることはなく、その実態に迫る調査は、着手されないままであった。そこで、本研究ではシンガポール及びジャカルタを中心に現地調査を行い、矢崎がパステル画をとおして現地の人々と接することで受けた影響と、東南アジアの近代絵画史において果たした役割について明らかにすることを目的とした。調査の糸口となる主な資料として、東南アジアで制作した70点余りの作品〔作例 図1~5〕、及びシンガポールについてはスクラップブックに貼られた新聞記事等があり(注2)、インドネシアに関しては、矢崎に同行した現地の若き画家、スジョヨノの手記があった(注3)。ディクディク・サヤディクムラッ(Dikdik Sayahdikumullah)― 1 ―― 1 ―Ⅰ.「美術に関する調査研究の助成」研究報告1.2019年度助成

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