鹿島美術研究 年報第37号別冊(2020)
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― 118 ―― 118 ―ず8月末から1月下旬にかけての旅行であったこと、ヨーロッパではフランスとイタリアにしばらく滞在して荻須高徳など以前から交友のあった画家たちと再会したこと、そしてヨーロッパの長期滞在を終えた後、帰国前にアメリカを経由してニューヨークのグッゲンハイム美術館を訪れていることである。小磯記念美術館の所蔵資料には、グッゲンハイム美術館内で抽象絵画を前にカメラを構える小磯の姿を映した写真〔図13〕が残されている。さて、このたびの調査で、小磯遺族の自宅から二度目の渡航中に残された書簡がまとめて見つかり、年譜を改訂させるほどの新たな情報を得た。ここにその成果を報告する。この書簡の内訳は(1)小磯が貞江夫人に宛てた絵葉書や手紙、(2)帰国後に小磯がアメリカ在住の村尾絢子氏へ宛てた手紙、(3)ヨーロッパ滞在中のスケッチブック、そして(4)旅行中に雑多なメモを記した小磯自筆の手帳の一部である。これら書簡によると、小磯は1960年12月28日の飛行機でパリからニューヨークに向けて旅立ち、1960年12月31日付で以下の内容の手紙を貞江夫人に宛てている。 遂にニューヨークにまでたどりついた。猪熊夫妻と村尾さんと丸紅の人とがむかえに来てくれた。大変な歓迎ぶりでうれしかった。(中略)十日頃に帰ることになる。ロサンゼルスとホノルルに立よって帰る。つまり、小磯は12月28日から二週間ほどニューヨークに滞在したことになる。当時は猪熊弦一郎夫妻と、新制作協会の仲間であり以前から交流のあった村尾隆栄氏がニューヨークに在住しており、小磯の宿泊先や食事などの世話をしていたようである。いくつかの手紙によれば、ヨーロッパに到着した段階ですでにアメリカ行きは決めていたようだが、小磯がアメリカ行きを渋り、一度は年内の帰国を決めながら結局成り行きでニューヨークまで渡ったといういきさつも詳細に知ることが出来る。ニューヨーク滞在中の足取りについては、興味深いメモが手帳に残されている。おそらく観るべき美術館と作品を事前にメモしたものだろう、〇メトロポリタンミューゼ  →マネ ドガ〇モダンアート 〃      ピカソ〇グッゲンハイム〃      アペル アフロ

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