鹿島美術研究 年報第37号別冊(2020)
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― 125 ―― 125 ―⑫高松次郎研究─アメリカのコンセプチュアル・アートとの比較から─序研 究 者:東京藝術大学大学院 美術学部 教育研究助手  大 澤 慶 久戦後日本の代表的な芸術家である高松次郎(1936-1998)は、1960年代末から1970年代初頭にかけて興隆したもの派との比較において、しばしばコンセプチュアルな作家として捉えられている。高松はもの派と軌を一にして物質を主役とするような「単体」シリーズを制作する一方、1970年代初めに《日本語の文字》〔図1〕、《英語の単語》〔図2〕、《THE STORY》、《ゼロックスで100枚コピーされたうちのこの1枚》〔図3〕、《この原稿をゼロックスすること》〔図4〕、《COPY》〔図5〕といった作品を制作している。これらはゼロックスコピーを使用して制作された文字の作品であり、この形式はとりわけアメリカのコンセプチュアル・アートと共通するものである。作品の制作手法としてのコピーは1960年代後半のアメリカにおいてはすでに、ゼロックスを用いて4冊のルーズリーフに綴じられたメル・ボックナーの《芸術として見られることを必ずしも意図しない下図と紙上の視覚的なもの》(1966年)やセス・ジーゲローブによって紙上の展覧会として纏められた「ゼロックス・ブック」(1968年)がある。文字を中心とする作品には、ジョセフ・コスースの1960年代後半の辞書の定義を記した一連の作品群や《一つと三つの椅子》(1965年)、ネオン管によって作られた《Four Words Four Colors》(1965年)などがある。また、『アーツ・マガジン』誌上のダン・グレアムの《アメリカのための家》(1966年)も雑誌という複製メディアと文字からなり、さらにローレンス・ウィナーによる1968年の《ステイトメンツ》や「意図の宣言」では、記述された各々の文は様々なメディアを横断するコピーとなりうるものである。このように文字とコピーという制作手法は、アメリカのコンセプチュアル・アートでは、高松の一連の文字作品よりもやや先行して多くの芸術家によって展開されていた。本研究の目的は、1970年代初頭の高松のゼロックスの文字作品とアメリカのコンセプチュアル・アートとの比較を通じ、彼のその一連の文字作品に新たな視点を与えることである。そこで以下ではまず1章において、これまでの先行研究を整理し、本研究で検討すべき問題を提示する。次に2章では、高松が一連の文字作品を制作するに至った一契機を明らかにする。このことにより高松の文字作品にこれまでさほど着目されてこなかった側面を浮き彫りにすることができる。そして3章にて、高松のゼ

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