― 127 ―― 127 ―星野高志郎)を分析した上で、1960年代のアメリカのゼログラフィー・アートと1970年代初頭の日本のそれとの相違点について次のように結論付けている。「1960年代のアメリカでは、確立されたモダニズム美術に対する対抗として、誰もが自由に気軽にコピーできることから著作者の特権的立場が消滅しかねない点や、画廊等を中心とした既成の美術作品の分配のシステムを逸脱する可能性、形式的、視覚的な美的要素の否定といった特性が、肯定的に利用された面が強い。対して、日本においてコピーは何よりも、人間のイメージ作用を超えた世界を、人間の作為によって表現するという矛盾を解消するためにあった。美術家の手の介入をできる限り削減することのできる、『直接性』の強いメディアとしてあったのだ」(注6)。当時のアメリカと日本における文脈の相違─モダニズム美術ともの派─はあったものの、いずれにおいても結果的に、ゼロックスコピーがオリジナリティの神話を瓦解させるものとして有効性を備えていたと言える。では、以上の先行研究を礎とし2章及び3章で検討すべき問題を提示しよう。第一に、高松と視覚詩との関連性についてである。グレアムは著名な《アメリカのための家》以外にも《配列》(1965年)や《概要(1966年3月)》(1966-67年)、《愛こそはすべて》(1968年)などの視覚詩に類する数字や文字の実験的な作品を雑誌において発表している。確かに、高松の一連の文字作品も文字の連なりである以上、視覚詩と呼ぶことができる。本研究では並行関係の指摘に留まらず、高松の文字作品を視覚詩として捉えることを可能にする積極的な拠り所を示したい。そこでは、『GRAPHICATION』1970年5月号が重要な手がかりとなってくる。神山(2005)の研究が示唆しているように、同号における「ゼロックス・ブック」の藤枝の批評や企画それ自体が、高松がゼロックスの文字作品を制作する重要な一契機になったことが予想される。次章にて、この点を掘り下げることにより高松とゼロックス、視覚詩との邂逅の背景を明らかにする。第二に、芸術のオリジナリティの問題である。もの派を背景とする日本とモダニズムの言説を背景とするアメリカにおいて、ゼロックスコピーという機械的な手法は、作者のオリジナリティを削減するものとして有効なメディアであった。またそれは物としての芸術作品の唯一性の問題に対しても、無限の複製可能性という点において有効なものである。とはいえ、このことは高松のゼロックス作品のすべてに等しく当て嵌まるわけではなく、各々の作品にはそれらの固有性や程度の差が認められる。3章では、アメリカのコンセプチュアル・アートと比較しつつ、また2章で明らかにすることも考慮しこのことについて検討する。
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