鹿島美術研究 年報第37号別冊(2020)
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― 128 ―― 128 ―2 ゼロックス作品、視覚詩との邂逅『GRAPHICATION』1970年5月号は、両輪で一つの企画が構成されたものであったと言える。一方は、高松を含む5人の作家によるゼロックス作品の掲載と、セス・ジーゲローブの「ゼロックス・ブック」の藤枝による紹介である。もう一方は、コンクリート・ポエトリーの概括的な紹介である。まずは前者の経緯から、編集責任者を務めていた田中和男による同号の編集後記を確認してみよう。「ある日、友人から電話があって、詩人の清水俊彦さんがゼロックスを使った作品ばかり集めた画集をもっているから、見せてもらったらどうかといってきました。私もゼロックスを使った版画集をだしてみたいと考えていた矢先ですから、早速、出かけていき、それが今月号の特集を組むきっかけとなりました。それはニューヨークの画商・ジーゲローブ発行のもので、カール・アンドレほか六人の画家の作品集です。〔…〕それをみながら、日本の若いアーチストにもゼロックスアートをやってもらったらどうかと考え」(注7)た。ここで言われている田中の「友人」とは藤枝のことであると推察される。田中は後年、この企画の発端について次のように振り返っている。「ゼロックス・マシンを〔…〕芸術行為にまで広げて捉え直すことが必要なのではあるまいか、と考えたのである。そこで、中学以来の永年の友人である美術評論家の藤枝晃雄氏に会いにいった。〔…〕私が雑誌の話をすると、藤枝氏は即座に『最近アメリカで出たジーゲローブ/ウェンドラー編のゼロックス・アートのアンソロジーのことを何か書くよ』と執筆を快諾。こちらが『日本でもこういうことができる人はいないだろうか』と言うと、すぐに高松次郎、吉田克郎、田中信太朗の三氏の名を挙げてくれた。話はトントン拍子に進み、70年5月号で『グラフィック・アートの冒険』という特集を組むことができた」(注8)。上記二つの引用を合わせて、企画に至る流れを纏めてみよう。まず、田中がゼロックスを使用した作品制作の企画を着想し、友人である藤枝に相談した。そして藤枝は知り合いである詩人の清水俊彦が『ゼロックス・ブック』を持っていることを伝え、また藤枝がそれについての批評を書くことを快諾し、併せてゼロックスを用いた作品を制作するのに相応しい作家として高松を含む3名を紹介した。こうした流れにおいて企画の一方が成立したわけである。それでは、同号の企画のもう一方であるコンクリート・ポエトリーについてはどうか。上の編集後記の引用の続きにおいて田中は次のように述べている。「〔日本の若い作家たちによるゼロックスアートに〕あわせて、概念詩をめざすコンクリート・ポエトリーの世界を紹介しようということになったわけです。というのは画家やデザイナーが印刷というメディアの先にあるものを求めるのと同じように詩人は活字(印

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