鹿島美術研究 年報第37号別冊(2020)
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― 129 ―― 129 ―刷)の制約を超えようとしているからです」(注9)。「コンクリート・ポエトリーの世界」の紹介とは、同号に掲載されている清水俊彦の「コンクリート・ポエトリーとその視覚的表象」のことである。この論考において清水は、コンクリート・ポエトリーを最初に導入したオイゲン・ゴムリンガーの解説から始め、広く、フランス、イギリス、アメリカの実験的な詩を概説し、日本の詩においては文字から写真の構成へと展開させた北園克衛の「プラスチック・ポエム」や、象形文字としての日本語を活かす新国誠一の詩を紹介している。そこで清水は最後に、ゴムリンガーから1960年代に至る実験詩にみられる傾向を三つに分類している。〈タイプ・ライター〉、〈マシーン・ポエム〉、〈ブック・ポエム〉である(注10)。この中で「ゼロックス・ブック」との関連性を容易に指摘できるのは〈ブック・ポエム〉であるだろう。それは「本全体が一つの作品を構成するようなタイプの詩で」あり「めくられることによって動くグラフを形成しながら、たえず次々に展開していく」ものである(注11)。編集後記での田中和男の説明のみでは「ゼロックス・ブック」に併せてコンクリート・ポエトリーの世界を紹介するに至った経緯を読み取り難いかもしれない。だが清水の論考には様々な点において「ゼロックス・ブック」、コンクリート・ポエトリーに端を発する実験詩、文字を積極的に用いるコンセプチュアル・アートの相互的な関連性が認められ、「ゼロックス・ブック」/コンクリート・ポエトリーの両輪で一つの企画として提示された意義を汲み取ることができる。以上、高松がゼロックスの文字作品を制作するに至った重要な一契機を明らかにした。上述のことから、彼は当時ゼロックス作品と視覚詩とを相互関連的に受容する状況にあったことが分かる。3 アメリカのコンセプチュアル・アートとの比較最後に、高松のゼロックスの文字作品の各特性を、アメリカのコンセプチュアル・アートとの比較を通じて明らかにする。アメリカのモダニズムの言説を端緒とするオリジナル/コピーの問題を軸に論じ、作品によっては先に示した視覚詩の側面を浮き彫りにする。ⅰ)《日本語の文字》、《英語の単語》、《ゼロックスで100枚コピーされたうちのこの1枚》これらの作品は、神山(2002)が前二者について指摘したように、コスースの作品と自己指示的な点で共通している。だが、コスースは、高松には明確には認められな

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