鹿島美術研究 年報第37号別冊(2020)
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注⑴真武真喜子「不在発生装置をつくる─『単体』と『複合体』の隙間から」『高松次郎─思考のNew York, 1969, unpaginated.― 132 ―― 132 ―結これまで本研究では、高松次郎のゼロックスの文字作品について、アメリカのコンセプチュアル・アートとの比較を通じて考察してきた。1章では先行研究を整理した上でさらなる問題を提示し、2章では、ゼロックス作品及び視覚詩に関する、高松が身を置いていた受容の状況を明らかにした。そして3章では、これまでさほど論じられる機会のなかった作品も掬い上げ、オリジナルとコピーの問題を軸にそれぞれのゼロックスの文字作品の特徴について検証した。高松の文字作品におけるオリジナリティに対するコピーの問題は、同じゼロックス作品でも一枚岩ではなく、作家性から離れつつも物としてのオリジナリティが保証される形式を備えているものもあれば、作家性及び物としてのオリジナリティから逃れる志向性を備えているものもある。また、コンセプチュアル・アートと視覚詩との相互関連的な受容の状況にあった高松にとって、ゼロックスの文字作品はオリジナル/コピーの問題を提起するものであり、視覚詩を展開する場でもあった。以上のことは高松の作品とアメリカのコンセプチュアル・アートとを並べて検討したことによって、より明瞭に示すことができたように思われる。宇宙』展カタログ、府中市美術館、北九州市立美術館、2004年、16頁。⑵同上。⑶神山亮子「高松次郎《日本語の文字》《英語の単語》」『府中市美術館研究紀要』6号、府中市美術館、2002年、32頁。⑷同上。⑸神山亮子「1970年代初頭の日本のゼログラフィー・アート─高松次郎を中心に」『ゼログラフィーと70年代』富士ゼロックス株式会社、2005年、21頁。⑹同上、23-24頁。⑺田中和男「編集後記」『GRAPHICATION』5月号、富士ゼロックス株式会社、1970年、頁記載なし。⑻田中和男「70年代『グラフィケーション』の冒険」『ゼログラフィーと70年代』富士ゼロックス株式会社、2005年、56頁。⑼田中、前掲注⑺、頁記載なし。⑽同上、13頁。⑾同上。⑿Joseph Kosuth, “Art After Philosophy,” Studio International 178, no.915 (October), London, 1969.⒀Lawrence Weiner, “Declaration of Intent,” 1968. First published in January 5-31, 1969, Seth Siegelaub,

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