鹿島美術研究 年報第37号別冊(2020)
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 六角紫水「始めて審査員に加はった感」『現代之図案工芸』78、1920年『東京美術学校校友会月報』8-1(名前表記は六角露光)『東京美術学校校友会月報』8-9(名前表記は六角露光)― 145 ―― 145 ―1901(明治34)1902(明治35)1903(明治36)1904(明治37)1905(明治38)1907(明治40)1908-1919(明治41-大正8)文部省美術展覧会に漆絵を出品しようとし、差し戻される。1909(明治42)1910(明治43)西暦(和暦)1889(明治22)1890(明治23)1893(明治26)1898(明治31)時期不明(文脈より1901-1902頃か)※作成にあたっては、『国宝を創った男 六角紫水展』図録(広島県立美術館、2008年)を参考とした。事項東京美術学校に入学。東京美術学校美術工芸科漆工部に進学。この後色漆開発を独自に始める。 東京美術学校卒業。東京美術学校助教授となる。開発の栗色漆によって《海浜及栗蒔絵》〔図5〕を制作。東京美術学校騒動で助教授を辞職。日本美術院創立に正員として参加。日進塗料工場で紫の新色漆に成功。漆絵《彩漆杜若の図》〔図3〕(大柿地区歴史資料館)を制作。第11回日本絵画協会/第6回日本美術院連合絵画共進会に漆絵《花卉三圖(朝顔・木槿・芙蓉》)を出品。日本漆工会常会に「六角紫水氏發明の色漆を以て花菖蒲、牡丹等を畫きたる額面盆經冊色紙等の漆絵」が参考品として陳列される。東京美術学校が日進塗料工場《色漆見本手板》 〔図6〕(東京藝術大学大学美術館)を買い入れ。第5回内国勧業博覧会に日進塗料工場より《蒔絵牡丹硯箱》(銀賞牌)、《色塗巻莨入》(二賞等)を出品。第5回内国勧業博覧会第十部(美術工芸)に色漆作品《色紙函》を出品。六角紫水、磯矢完山合作の色漆作品《衝立》〔図7〕 を第5回内国勧業博覧会第五部(工業品)に出品。「美術協会」(日本美術協会ヵ)に白漆による「白鶴の額面」を出品、「漆の仕事ではない」という理由で受け付けられず。農商務省海外実業練習生として渡米。帰国までボストン美術館、メトロポリタン美術館などでの作品整理業務、日本美術院のPR活動を行う。《色漆応用蒔絵小箱》 をセントルイス万国博覧会に出品、金賞。ケンブリッジのオリ・ブル邸にて横山大観、菱田春草とともに参加。「Iris」、「Chestnuts」、「The Beach」、「Ink Box」2点を出品。(関連)日本美術協会春季美術展覧会に石井汲月(士口、吉次郎)が水彩画風の色漆作品《菫研出手箱》を出品。同展覧会に磯矢完山が≪白漆鶏圓額≫を出品。(関連)石井士口が《水兵漆絵額》〔図4〕(東京藝術大学大学美術館)を制作。「くさらぬ溶解膠」(一名泥状膠)を発明、特許を出願する。この膠を応用して「ねり胡粉」、「ねり絵具」の製出をめざす。溶解膠の特許に加え、練り絵の具の特許を取得。表1 明治後期 六角紫水の色漆・漆絵作品に関する年譜出典『日本美術』2『日本美術院百年史 二巻上』日本美術院、1990年、676頁『日本漆工会雑誌』13『第五回内国勧業博覧会受賞名鑑』『日本美術』55、57「紫水自叙傳(後編)NO2 色漆の研究について」(未公刊)『国宝を創った男 六角紫水展』図録、44頁「春季美術展覧会の蒔絵批評」『日本漆工会雑誌』51

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