鹿島美術研究 年報第37号別冊(2020)
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― 147 ―― 147 ―⑭南北朝・隋唐時代における法界仏像の図像形成に関する研究研 究 者:早稲田大学大学院 文学研究科 博士後期課程  易   丹 韻緒言法界仏像(注1)とは、体躯または大衣に須弥山や六道衆生など仏教的世界を構成する様々な図像要素が表現された、特異な如来像である。この種の如来像は、6世紀頃から13世紀頃にかけて制作が続けられており、現存作例を見る限り、それらの分布地は中央アジア(西域北道、南道)、中国(敦煌や華北など)、そして日本と広域にわたる。中国でいち早く法界仏像が見いだせるのは華北地域である。同地域での法界仏像の制作は南北朝後期すなわち6世紀以降に遡り、同様にこの時期に成立したと考えられる中央アジアの西域北道の法界仏像の影響を受けた結果とされている。そして、時代が隋(581~618)に下ると、華北地域では尊格を「盧舎那」と明記する法界仏像の作例が出現するようになった。こうした法界仏像の華北地域への伝播から尊格の定着における時期(注2)を、この種の如来像の中国における受容と展開が行われた初期段階と捉えるならば、同時期に制作されたそれらの作例は、中国で成立した法界仏像の性格を考察する上で、重要な手がかりになる。なかでも、北斉(550~577)から隋にかけた時期の制作とされるアメリカ・フリーア美術館所蔵の丸彫法界仏像(以下フリーア像)は、大衣に極めて複雑な図像内容を構成する種々のモティーフが整然と配置されており、中国における初期の法界仏像の中で、最も重要な作例といっても過言ではない。法界仏像を扱う先行研究(注3)は、主としてその尊格比定に関心を寄せてきた。この種の如来像を本格的に研究し始めた松本栄一以来、仏教美術学界ではそれらの作例を華厳教主の盧舎那仏と捉えてきたが、ハワード(A. F. Howard)氏は1980年代当時、研究者の間では未だ大いに注目されていなかったフリーア像を中心に取り上げて、法界仏像の釈迦仏説を強く主張している。以降、李静傑氏は同様にこの作例を中心的な考察対象としながらも、法界仏像を盧舎那仏とするというハワード説と正反対の見解を示している。しかしながら、尊格比定を最終目的とするこれらの研究は、いずれも法界仏像における図像要素を特定の仏教文献の記述ひいては特定の尊格の如来と安易に結びつける傾向が強く、結論ありきの解釈であることを免れ得ない。一方、本調査研究では、上記の研究者らと異なる関心を持ちつつ、中国における初

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