鹿島美術研究 年報第37号別冊(2020)
160/688

― 148 ―― 148 ―期の法界仏像の図像形成の実態を解明しようとしている。そこでは、当該作例が一体どのように成立したのかということに重点を置いて考察を行っており、こうした考察によって、フリーア像をはじめとする初期の法界仏像が、実際は先行研究が想定している以上の豊富な仏教文献や図像に典拠・源泉を持つことが判明する。紙幅の都合上、この報告論文にまとめられるのは、先行研究で従来うまく解釈されていない、フリーア像における幾つかの図像要素に対する新解釈のみであるが、本調査研究で扱っている内容の全体については、詳細な論考を執筆者の博士学位申請論文のうちの一章にしていく予定である。フリーア像における図像要素に対する新解釈フリーア像は丸彫の立像である。同像の大衣は前面も背面も種々のモティーフで埋め尽くされて、特に前面〔図1〕に施された図像はさらに九つの区域に分けられる(Ⅰ~Ⅸの記号を各区域に付す)。その大略を述べると、天上界(区域Ⅰ)、須弥山(区域Ⅱ)、地上界(区域Ⅲ~Ⅶ)、地獄界(区域Ⅷ~Ⅸ)が上から下へ順に彫出されて、これらの図像によってひとつの完結した仏教的世界を構成する。一 須弥山側の阿修羅区域Ⅱ〔図2〕においては、画面の中央に仏教の宇宙観で一須弥世界の中心に聳えるとされる須弥山が彫出されて、その左右両側にさらに日や月を頭頂上方に掲げる立形の多臂人物が一人ずつ配置されている。こうした図像配置の仕方は、北魏期すなわち480年代頃の制作とされる雲崗石窟第10窟前室北壁の須弥山図を踏襲していることを伊東史朗氏以来の研究者が既に指摘している(注4)。同須弥山図〔図3〕では、多面多臂人物は坐形で表現されているが、須弥山の左右両側に一人ずつ配置されている、日や月を頭頂上方に掲げる姿となっているという点で、区域Ⅱにおける須弥山図と共通している。ちなみに、現存作例を見る限り、南北朝から隋にかけて成立した須弥山図はほとんどが日や月を持つ多臂人物を伴っており、しかも、このような人物を阿修羅とする説は仏教美術学界の主流を占めてきた。一方、区域Ⅱにおける阿修羅像には、先行研究では従来看過されてきた点がある。すなわち、それらはいずれも両足の足先が彫出されていない点である。また、西魏(535~556)期頃の制作とされる敦煌莫高窟第249窟天井西坡の須弥山図〔図4〕では、海水の中に立っている阿修羅もまた同様に、足先を見せずに描出されている。こ

元のページ  ../index.html#160

このブックを見る