― 151 ―― 151 ―とある。なぜ迦維羅衛がブッダの生誕地となるのかについて、地上界ないしは三千大千世界の中央とされるこの地でないと、大地が仏の威神の持つ無上の尊さと重さに耐えられず、斜めに傾いてしまうからであるという理由付けがなされている。これら漢語仏伝の記す迦維羅衛の大地中央説が、南北朝から隋唐にかけての仏教徒の間に広く認識されていたことは、同時期に成立した中国撰述文献(注10)から確かめられる。しかも、こうした大地中央の観念は、当時繰り返して起きた排仏論争において、やがて、経論に権威を求めた仏教徒たちがいわゆる天竺中土(インド=中土、中国=辺地)説を主張し続けていた根拠のひとつとなっており(注11)、興味深い。このように、例の城のフリーア像における配置箇所も含めて考えると、仏教文献に説かれる地上界の諸城の中からそれに該当できるものを探すとしたら、第一候補として浮上してくるのは、やはり迦維羅衛である。なお、ハワード、李玉珉両氏による四門出遊説もまた同様に、例の城を迦維羅衛としているにもかかわらず、執筆者の見解とは大いに異なることを、ここで強調しておきたい。そして、執筆者が特に関心を抱いているのは、漢語仏伝に由来する大地中央の観念が、フリーア像の制作者のような人々に浸透しており、やがて仏教的世界、特に地上界の図像表現に反映されるに至ったという可能性である。三 中軸線上の正面向きの馬正面向きの馬は、フリーア像における図像要素の中で、従来最も難解なモティーフであるとされてきた。なかでも、馬を造形化する際に最も多く使われる側面観の表現手法を同像の制作者があえて選ばなかったことで、注目を集めてきた。区域Ⅳにおけるそれは、さらに下方の区域Ⅴにおける仏塔供養の場面、区域Ⅵにおける宝珠とともに、これら三つの区域において中軸線上のモティーフとなっている。なお、北斉期頃の制作と考えられる、フリーア像に共通する図像要素を多く有する伝高寒寺石仏〔図7〕という丸彫の法界仏像立像もまた同様に、大衣前面に正面向きの馬、仏塔、宝珠が上から下へ順に彫出されており、当該区域において中軸線上のモティーフとなっている(注12)。李静傑氏は『六十華厳』「入法界品」における「爾時善財、於宝鏡中見諸如来及其眷属…又見弥勒讃歎諸仏恭敬供養…或為馬王荷負衆生令離鬼難(T9-781c)」という記述を典拠として挙げて、フリーア像と伝高寒寺石仏の両方における正面向きの馬を、ともに氏のいう「弥勒の変化身としての馬王」に比定している(注13)。しかしながら、両作例における正面向きの馬は、いずれも説話性を帯びた図像要素が欠けている。
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