注⑴本命名の由来と根拠については、大原嘉豊「『法界仏像』に関する考察」『中国美術の図像学』― 154 ―― 154 ―結言本調査研究では、フリーア像をはじめとして中国における初期の法界仏像を取り上げて、各モティーフの当該作例における配置箇所や作例同士に共通する図像配置の仕方を重要視した上で、仏教文献の記述及び既存図像との照合を試みた。そして、こうした考察を行ったことによって、従来うまく解釈されていなかった幾つかの図像要素は矛盾なく説明された。これは、法界仏像が『華厳経』など特定の経典の記述に依拠して成立したであろうと想定した上で、それら経典を専ら利用して各作例における図像要素の内容比定を行った多くの先行研究とは、一線を画す。しかし一方で、法界仏像の制作は、如来像の体躯または大衣を用いて仏教的世界を表現する造像活動である以上、如来の仏身の広大さを強調しつつ、それを重重無尽たる華厳の宇宙と同一視する『華厳経』ないしは華厳教学とは無関係だったということは到底考えられない。時代が隋唐に下ると、華厳教主の盧舎那仏の漢語銘文を伴う法界仏像の作例が続出するようになったのも事実である。そして、こうした一見矛盾するような事柄をどのように解釈すればよいのかという点は、中国における初期の法界仏像の図像形成に対する理解の深化に繋がるものであり、同過程における『華厳経』ないしは華厳教学の位置付けへの再考を促すものでもあると考えられる。そのため、今後の課題として考察を進めてみる。京都大学人文科学研究所、2006年、473~475頁を参照。⑵この時期の法界仏像と密接に関係する唐代の作例(ギメ美術館所蔵の金銅法界仏像など)に関する調査も本調査研究の一環であるが、新型コロナのため実施することができなかった。当該作例に対する考察は今後の課題とする。⑶最も主要な先行研究は、松本栄一「尊像図中の特殊なるものに関する研究 華厳教主盧遮那仏図」『敦煌画の研究 図像篇』東方文化学院東京研究所、1937年。水野清一「いわゆる華厳教主盧遮那仏の立像について」『東方学報』18、1950年。吉村怜「盧舎那法界人中像の研究」『美術研究』203、1959年。A. F. Howard, The Imagery of the Cosmological Buddha, Leiden: Brill,1986. 李静傑「北斉~隋の盧舎那法界仏像の図像解釈」『仏教芸術』251、2000年。⑷伊東史朗「盧舎那仏立像 ギメ博物館蔵」『学叢』2、1980年、128頁。⑸賀世哲「敦煌莫高窟第二四九窟窟頂西坡壁画内容考釈」『敦煌学輯刊』3、1983年、28~29頁を参照。⑹前掲注⑶ハワード書、p21. 李玉珉「法界人中像」『故宮文物月刊』11(1)、1993年、38頁。⑺前掲注⑶李静傑論文、31頁。⑻隋唐期の作例(莫高窟第427窟、第332窟、第446窟の法界仏像など)でも、こうした図像配置
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