鹿島美術研究 年報第37号別冊(2020)
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⑼ 吉村怜「盧舎那法界人中像再論」『天人誕生図の研究』東方書店、1999年、516頁。⑽ 南朝・梁の僧敏撰『戎華論』や隋の釈彦琮撰『通極論』など。⑾ 吉川忠夫「中土辺土の論争」『六朝精神史研究』同朋舎、1984年、462~489頁を参照。⑿ これら中軸線上のモティーフは、両像のいずれでも同区域の左右両側の図像との内容上の関連⒀ 前掲注⑶李静傑論文、19頁。⒁ 前掲注⑶ハワード書、p19-20.⒂ 林保尭氏は、正面向きの馬が法界仏像において同様の位置に配置されていることを指摘しているが、このことについての解釈は行っていない。同氏「弗利爾美術館蔵北周石造交脚弥勒菩薩七尊像 略考 光背僧伽梨線刻素画図相試析之二」『仏学研究中心学報』4、1999年、260~263頁。⒃ 山部能宜氏によれば、陰馬蔵のパーリ(kosohita-vatthaguhya)は包皮に包まれた男性器のみを意味するのに対して、サンスクリット(kośopagatavastiguhyaなど)は包皮に包まれた男性器を意味するだけではなく、男性器が体内に陥没している意味をも含んでいるという。Nobuyoshi Yamabe, “The Sutra on the Ocean-Like Samadhi of the Visualization of the Buddha.” Ph.D. diss., Yale University, 1999, p377-378.⒄ 森雅秀「『観仏三昧海経』「観馬王蔵品」における性と死」『北陸宗教文化』21、2008年、32頁。― 155 ―― 155 ―の傾向が確認される。が薄いと考えられる。紙幅の都合上、詳細は別稿に譲る。図版出典図1 The Imagery of the Cosmological Buddha, Leiden: Brill, 1986, p l2、執筆者加工図2 執筆者撮影図3 執筆者撮影図4 『中国石窟 敦煌莫高窟』巻1、平凡社、1980年、図89図5 執筆者撮影図6 『敦煌石窟』、中国旅遊出版社、2012年、図62図7 The Imagery of the Cosmological Buddha, Leiden: Brill, 1986, p l19図8 執筆者撮影、加工

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