鹿島美術研究 年報第37号別冊(2020)
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― 159 ―― 159 ―⑮中国における花器の伝統と系譜研 究 者:学習院大学大学院 人文科学研究科 博士後期課程  李   含日本語では、花を入れる器を「花器」と呼ぶが、中国ではこの語彙がない。花入の総称として、「花瓶」を使用する。花器に関する研究は、中国において、実用性の角度から花器を考察するものが多い。歴史の研究において、黄永川氏が長年にわたり、中国の挿花文化史について研究し、『中国挿花史研究』(注1)などの著作を通して、歴代における挿花文化の時代的特徴と精神史とを丁寧に検討している。ところが、いけばなを主な研究対象とする場合、当然ながら、花の方に焦点を当てることになる。花器についての論述は、極めて限られる。また、揚之水氏が、『宋代花瓶』(注2)を著し、宋代の花瓶類について論考を進めているが、宋時代のみ対象となるため、歴史的な比較が少なく、なお瓶形以外の花器は研究対象外となっていた。一方、日本における花器に関する研究は、概ね生け花の発展史に付随する形で進められる。この類の著作の大きな特徴は、中国の古代における挿花文化を考察対象に入れ、日中両国の文化交流史の中で花器としての籠と竹について検討する、というところにある。中田勇次郎氏は、自身の翻訳した『文房清玩』(注3)の中で、中国における挿花文化の歴史を、時代順に詳らかに書いている。芳賀幸四郎氏の研究は、東山時代に成立した書院の花の歴史的性格を考察した上、室町時代におけるいけばなの歴史の展開過程は、神仏中心主義から人間中心主義へと転換していくと指摘している(注4)。細川護貞氏は、中国の挿花文化が如何に日本に伝わってきたのか、またその精神面の変遷について論じている(注5)。この外、いけばな史の通史的研究として、工藤昌伸氏の研究によって唐様の花と和様の花とが比較いけばな史の角度からとらえられ(注6)、鈴木栄子氏の研究により、中国古代の挿花文化における文人趣味と日本のいけばなとの関係が考察されている(注7)。本研究では、中国における挿花文化の伝統を整理しつつ、宋時代を中心として、文献と作品の分析を通じて花器の造形性について再検討してみたい。中国では、紀元前に既に花に関する詩歌が謳われるようになっていた(注8)。晋南北朝時代において、前漢末から後漢初め頃(1世紀)にかけて中国に伝わってきた佛教など宗教の普及と共に、花を花器に入れて神明に捧げるという行為も、寺院で盛んに行われるようになってきた。仏教においては、供花の形式は大きく二種類に分けることができる。一つは「瓶花」

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