鹿島美術研究 年報第37号別冊(2020)
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― 160 ―― 160 ―という形式で、5世紀の史書『南史』(注9)の斉晋安王子懋伝には、「〔子懋〕年七歳時,母阮淑媛嘗病危篤,請僧行道。有獻蓮華供佛者,衆僧以銅甖盛水漬其莖,欲華不萎。」との一文があり、蕭子懋という人は七歳のとき、母の阮淑媛が病気で危篤になったため、僧侶に法事を願った。そのとき蓮花を捧げて仏に供えるが、僧侶たちは銅甖に水を盛り、花を入れその茎を漬すという場面を記している。今一つは、「盤花」と呼ばれ、散華などの儀式で用いられる盤皿に花を盛る。3世紀に中国語に訳された『仏説無量寿経』(注10)において供花は「四供養」に数えられ、「懸繒然燈、散華燒香、以此回向、願生彼國。」とあるが、供花は懸繒(絵を掛けること)、燃燈(灯を燃やすこと)、焼香(香を焚くこと)と並んで、「四供養」に数えられる。式典が執り行われる際に、撒き散らされる「花」は、本物の蓮の花弁と、蓮弁形の紙に彩色を施した造花で、用いられる器は、「華筥」か「華籠」と称する金属或いは竹材の籠類である。唐に入ると、日常生活における花の楽しみ方が非常に豊かになっており、日常生活の中で既に花器を用いて花を入れる文言が散見される。中唐時期の欧陽詹(注11)の書いた「春盤賦」という文章の中に、花器に花を生けることを自分の心情の表しとして唱えている。冒頭の一文は、「多事佳人,假盤盂而作地,疏綺繡以為春。」との一文で、好事な佳人は、盤と盂などを用いて下敷きとし、色取り取りの花を生けて春とみなす、という風習を述べ、次は、「始曰春兮、受春有未衰之意、終為盤也、進盤則奉養之誠。」初めに春と言い、春があり未に衰えぬという意を受け、終に盤となるが、(花を)盤に収めて進めるというのは、奉養する誠意がある、という。続いて「事隨意制,物逐情裁」というまとめに入り、心に從いことをなし、情念を追って物を裁量する、と主張する。春盤というのは、辛盤または新盤とも呼び、新春の際、五種類或は七種類の野菜を取り、神に供え、新しい一年の豊作や精進を祈る。その後、野菜を米と一緒に混ぜ、「七宝羹」という粥を煮て、人日にいただく。この行いは、盤を大地と見做し、中に梅や李、小枝や花などを盛り、景色を表す。また、晩唐時期の文人羅虬(注12)が「花九錫」という随筆を書き、中には花を生ける時必要な九種類の道具を挙げ、それらを天子が諸侯と臣下に対して下賜する九つの器物「九錫」と喩える。原文は以下のようになる。「花九錫亦須蘭蕙梅蓮輩、乃可披襟。若芙蓉躑躅望仙山木野草、直惟阿爾、尚錫之云乎。

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