鹿島美術研究 年報第37号別冊(2020)
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― 165 ―― 165 ―く発展していく。椅子と卓が庶民階層まで普及する。なお、都市の発展と共に、都市人口が著しく増大し、各人に与えられる空間の縮小と小型家具の使用、また唐に比べて小さくなった花瓶類の花器が室内の飾りとして登場することに関係している。〔図2〕南宋前期の詩人、楊万里が数多くの花に関する漢詩を書いたが、中には花瓶に関する文言が散見される。例えば「嘗荼蘼酒」という漢詩において、「月中露下摘荼蘼、瀉酒銀瓶花倒垂。」の一句があり、月の下で花を摘み、酒を捨て、銀瓶に花を垂れて行ける、と書いている。宋時代における花器の材質は、従来の金属、ガラスなどに加え、陶磁器、漆、竹材なども多用される。北宋晩期の士大夫徐兢がかつて朝廷の使者として朝鮮に赴いたが、その時の見聞を本にまとめ、『宣和奉使高麗図経』の中に記している。まず、「(陶尊条)陶器色之青者、麗人謂之翡色。(中略)復能作碗碟杯甌花瓶湯盞皆竊仿定窯制度。」という記載があり、陶器において、色が青い物は、高麗の人がそれを翡色と称す。碗、皿、杯、壺、花瓶、湯瓶などを全て定窯の器形を倣って作る、としている。〔図3〕次は「(陶爐条)(前略)其餘則越州古秘色、汝州新窯器大概相類。」とあり、即ち、他には全て越州窯の古い秘色や、汝窯の新しい製品と大体同じ作りとなる。当時、陶磁器の花器の窯元が分かる。なお、「(花壺条)花壺之制、上銳下圓、略如垂膽。仍有方坐、四時貯水簪花、舊年不甚作、邇來頗能之。通高八寸、腹徑三寸、量容一升。」とあり、花壺の器形は、上が鋭く、下が丸く、垂れる胆に似る。同じく下に四方の棚があり、常時水をため、花を入れる。昔は器形があまり上手じゃなかったが、最近になるとかなり良く出来ている。高さ八寸(約26cm)、胴径三寸(約10cm)、容量が一升となる。ここからみれば、花器の器形と寸法をも推測できる。今回の研究を通して、宋時代における挿花文化及び花器の特徴を以下の四つを分けてまとめてみた。まず、挿花文化が宋時代において、宮廷から庶民まで、階層を問わず、日常生活の一環として認識され、一つ完成された形となっていた。花を入れる容器についても、従来骨董品を見立てるだけではなく、今焼の陶磁器で、新しく登場した高型家具に合わせて用いられるようになった。また、文人階層は花を生けることを通して自我を主張するが、段々と花器からも人間の徳性を見出すようになっていく。二つ目は、文人士大夫にとって、あくまで花が主体であり、花から自分自身を観照するので、花器に対して示す興味がまだそれほど強くない。金属類のものは、金石の類になるので、骨董鑑賞の領域に属し、独立の観賞品として成立している。三つ目は、今日において、よく知られる「宋磁」は、当時において新しい製品が多い。先代の金

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