鹿島美術研究 年報第37号別冊(2020)
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― 174 ―― 174 ―塔を捧げ持つ尊者や、左下方に描かれる喫茶の場面は立本寺本には描かれない。さらに画面構成に対する意識は大きく異なる。本法寺本の右方には画面を縦断する巨大な瀑布が描かれ、渓流となって画面左方へ流れ込む。この水流が画面全体を連結しているが、立本寺本にはこの機能を代替するような媒介物はない。また白衣の禅定尊の右下方にはこの尊者を見上げる尊者が三名描かれており、立本寺本のように孤立しているわけではない。文献資料や他作品による傍証が成り立たない現状において、立本寺本がことさら本法寺本に範を取ったと積極的に論じることは難しい。そもそも阿羅漢とは、東アジアに十六羅漢という概念を膾炙させることとなった玄奘訳『大阿羅漢難提蜜多羅所説法住記』(大正蔵49 巻)によれば、釈迦仏の般涅槃に際して授かった「無上正法」を、弥勒仏の下生に備えて護持する修行者である。立本寺本堂は須弥壇に題目塔、釈迦仏、多宝仏からなる三宝尊を祀る。この一塔両尊式は『法華経』見宝塔品第十一を象ったものと考えられるが、その見宝塔品末尾における偈には、仏滅度以降に『法華経』を護持することに対する六つの困難が語られている。その裏面に嵌められる十六羅漢図は、末法における護持思想という点で本尊に呼応している。本尊とそれを荘厳する羅漢図との関係として、真言宗である泉涌寺の舎利殿に目を転じたい。泉涌寺舎利殿はもと禁裏の御文庫であり、寛文年間の泉涌寺大造営にあたって移築された(注6)。舎利殿御内庫には寛文八年(1668)、六代木村了琢によって十六羅漢図〔図5、6〕、韋駄天像、飛天像および蓮池や唐獅子からなる壁画が描かれた(注7)。舎利殿の中心に安置される、ゴータマ・ブッダの歯である仏牙舎利もまた末法における正法護持思想を象徴するもの(注8)であり、その左右壁に描かれた十六羅漢図と対応する。ところで筆者はこの外に、始興による羅漢図の信頼に足る現存作例を寡聞にして知らないが、近衞家菩提寺である西王寺第六世九峰自端の詩集『東林稿』(注9)中の「謝渡部始興画方丈壁」には「石橋南畔長松下 応真飛錫颼々」とあり、始興が西王寺方丈の壁に天台石橋にあそぶ羅漢を描いたことを伝える。3、立本寺本の図像と関係諸本以下、立本寺本「十六羅漢図」の各羅漢の図像に注目していきたい。画面上にあらわされた十六羅漢と従者の群像は、いくつかの群に分けることが可能である。右上の五人の尊者と童子と龍虎をA群、右下の二人の尊者と胡人をB群、B群の左方の一人の尊者と童子をC群、さらにその左方の三人の尊者と胡人と獅子をD群、左上の一人

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