鹿島美術研究 年報第37号別冊(2020)
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― 175 ―― 175 ―の尊者をE群、左下の三人の尊者と童子をF群と、それぞれ呼びたい〔図7〕。C群とA群の龍のように緩やかに呼応するものもあるが、各群相互の連関は弱い。各尊と従者の特徴については、〔表1〕に略記した。3―AA群の諸尊は雲の上に乗るが、このようすは多くの羅漢図に見ることができる。例えば、十二世紀後半に制作された大徳寺伝来「五百羅漢図」百幅うち第一幅「羅漢会」がある。フィリップ・ブルーム氏の研究によれば、こうした雲集の図像は、法会においてシャーマンを演じる「法師」が観想した諸尊の降臨を視覚化したものである(注10)。「羅漢会」幅の雲の描写には運動性があり、五人の尊者が召請に応じてこの道場に降臨したように描かれている。立本寺本のA群も雲集の図像に大別できるが、その雲には運動性がなく、上部に位置する尊者の立脚地としての説明にのみ寄与する。次に虎の図像〔図8〕に注目する。A4尊に侍り身をよじる姿は本法寺本も共通する。しかし面貌の表現は、本法寺本のような室町水墨の系譜に連なるものやその前提となる中国絵画に見るものとは異なっている。宝暦十一年(1761)ころ雲鯨英信(不詳)という絵師が、師である鶴沢探鯨(1687-1769)から学んだ画法を描きとめた「学画巻」(注11)(個人蔵)乙巻に描かれる虎の面貌〔図9〕は、点描のみの瞳の表現や頭部全体の輪郭において立本寺本に酷似する。虎は画面左上方に視線をやり、A群を見下ろすかのような画面中央の龍と呼応する。この「伏虎」と「降龍」の図像の対応は、例えば元代の制作と目される鹿王院蔵「十八羅漢図」二幅対〔図10〕を代表としていくつかの作例に見られる。立本寺本の龍は身色を地色であらわし、墨線で身体の構造をあらわす。周囲には濃墨をぼかし、雲を表現する。濃墨であらわされた雲をまとう龍が画面の最上部中央に描かれるという点は、泉涌寺本左壁に等しい。左方に飛行しつつ、頭部を右方に振り向ける姿勢も両者で吻合する。A5尊は両手で壺のような物を執り、その口を龍に向けている。龍とそれを使役する尊者の対応は、五代呉越国の制作になる烟霞洞や、北宋の制作になる飛来峰玉乳洞などの西湖周辺の羅漢造像を古例とし、大徳寺本第二〇幅「降龍」、同第六〇幅「争龍」、鹿王院本の左幅など多くの中国製羅漢図に指摘できる。その多くは鉢や珠をもって龍を控制しており、泉涌寺本左壁でもこれにならう。

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