鹿島美術研究 年報第37号別冊(2020)
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― 177 ―― 177 ―は左右反転するものの、姿勢や毛並みの表現が一致する。3―E画面左上部においてE尊は、断崖の上に草座を敷いて禅定に入る。本法寺本においても同じ位置に禅定の尊者が坐しており、他の尊者の注目を集めている。白衣を着す点、草座上に坐す点、松樹との関係性などはたしかに立本寺に符合する。一方、泉涌寺本左壁の左上部にも窟中の草座上に坐す尊者が描かれている。目を閉じ、右四分の三面を見せる点ではこちらがより立本寺本と吻合する。この禅定の尊者は多くの作品に散見される。腕まで衣に覆う点では大徳寺本第十五幅「禅定羅漢の供養」を、松樹下に坐す点では高台寺本第六尊者幅を、類例として挙げることができる。3―FF群では、童子が縒った糸を用いてF3尊が裁縫する。金大受系に属する霊雲寺本「十六羅漢図」(もと大徳寺玉林院伝来)の第十四尊者幅にその祖型となる図像が見られる。泉涌寺本右壁下部にも裁縫図像がある。黒衣の尊者が口と右足を用いて糸を伸ばす点〔図12〕は、立本寺本の童子のしぐさと一致する。次に童子の面貌表現〔図13〕に注目する。うつむく童子の額を一本の連続した弧として描くこの画法は、寛保二年(1742)の「樹下寿老人図」(円光寺蔵)などにも用いられる始興画の特徴的表現であるが、これが京狩野家の永良(1741-71)が弟子に伝授した『画伝集』(注13)(京都工芸繊維大学蔵)や『秘伝画法書』(注14)(京都国立博物館蔵)に「ウツムク面」〔図14〕として掲載されている。西域僧風のF1尊が執る数珠は、円状に硬直している。この表現は金大受本第八尊者とその模本をはじめとし、わが国では頻出の図像である。泉涌寺本左壁では、立本寺本F1尊と同じ位置にこの数珠を執る尊者が坐している。F4尊の相貌は他の十五尊と比べ異彩を放っている。蓬髪は知恩院蔵の顔輝筆本に代表される蝦蟇鉄拐図のアトリビュートであるが、元代以前の羅漢群像に採用される例はあまり知られていない。群像中に蝦蟇と鉄拐をあらわす例としては、しかし蘭溪若芝(1638-1707)が寛文九年(1669)に描いた「群仙星祭図」(神戸市立博物館蔵)などがあり、新たにもたらされた明風の図像系統である可能性が想定される。4、立本寺本の位置付け以上の比較により、立本寺本が特定の作例を模倣するのでなく、むしろ多くの作例

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