鹿島美術研究 年報第37号別冊(2020)
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注⑴ 始興についての基礎的かつ包括的な研究成果として、中部義隆『渡辺始興―京雅の復興』(大⑿ 高台寺本は至正五年(1345)二月十九日の年記をもつ十八羅漢図(上海博物館、フリーア・ギャラリーほか分蔵)以前の制作であると、筆者は考える。詳細な考察は別稿を用意したい。⒀ 多田羅多起子「狩野永良『画伝集』」(『美術フォーラム21』23、醍醐書房、2011、pp. 164-― 179 ―― 179 ―⑵ 谷口耕生「清凉寺釈迦如来立像旧厨子扉絵考―金光明懺法諸天図の一遺例」(長岡龍作編『機能論―つくる・つかう・つたえる』仏教美術論集5、竹林舎、2014、pp. 372-397)、高志緑「浜松に伝わる二つの二十四善神(諸天)像」(『浜松市博物館報』27、2015、pp. 1-16)。また泉涌寺の文化史に関する主な文献として『泉涌寺史』(法蔵館、1984)、西谷功『南宋・鎌倉仏教文化史論』(勉誠出版、2018)など。⑶ 西谷功「泉涌寺の「生身」羅漢―「汗」をかく羅漢伝承の背景」(『画期としての室町』、勉誠⑷ 『紀行I』(史料京都見聞記1、法蔵館、1991)、中部・前掲注⑴、山下廣幸「木村探元日記」(『黎⑸ 集古会編『集古』4(思文閣出版、1980)。⑹ 西谷功「近世泉涌寺の再建―伽藍復興と精神の回帰」(『黄檗文華』129、黄檗山萬福寺文華殿、⑺ 大西芳雄「絵仏師木村了琢―東照宮深秘の壁画について―」(『東京国立博物館紀要』10、⑻ 西谷・前掲注⑵、西谷功「〈舎利〉―泉涌寺との関わり」(『観世』30-10、桧書店、2018、pp. 1⑼ 相見香雨「渡辺始興と乾山」(『大和文華』23、1957、pp. 66-71)。⑽ フィリップ・ブルーム「視覚化された儀礼と観想:大徳寺伝来〈五百羅漢図〉における水陸会⑾ 野口剛「江戸中期・京都の狩野派における絵画学習―雲鯨「学画巻」(画道秘録)の紹介をと⒁ 山下善也「狩野永良の秘伝画法書について」(『学叢』33、京都国立博物館、2011、pp. 51-80)。⒂ 西谷・前掲注⑶。⒃ 『京羽二重織留』(元禄二=1689年序)には、泉涌寺舎利殿に安置されているのが「肉付仏牙舎利」であり、1/28、9/8の二度の舎利会のほか、2/9-2/15のあいだ開帳され「ねはん像」とともに衆目に付されたことが記される。り御高配賜った。末筆ながら記して感謝申し上げる。和文華館、2000)を参照。出版、2018、pp. 159-187)。明館調査研究報告』17、2004、pp. 1-66)など。2010、pp. 156-177)。1975、pp. 153-227)。-9)。の表現」(『佛教藝術』344、毎日新聞出版、2016、pp. 32-53)。おして―」(『京都文化博物館研究紀要 朱雀』18、2006、pp. 21-42)。182)。

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