― 188 ―― 188 ―作品が現存しないため、智融の牛がどのようなものだったかはわからない。そこで、智融について書かれた評論から、共通点を探ってみたい。罔両とは形と影とに対し第三者の立場にあるもの、景外の微陰である。景外の微陰とは、その物を包む一種陰気のようなものを指す。よって、罔両画は画かれた対象が幽怪なのではなく、墨色が極めて淡薄なため、描かれた形象が不明瞭である(注17)。智融について書かれた文献には「惜墨如惜命」、「深簡妙動」、「不過数筆」で「寂寥蕭散」等と記される(注18)。日本に伝来した罔両画通有の手法で描かれているといわれる(伝)無準師範筆・自賛「達磨・政黄牛・郁山主図」(南宋時代、徳川美術館)の「政黄牛図」をみると、筆数が少なく極めて薄い墨で描かれている。智融の画風は半職業的画僧が描くものではなく、墨戯の類で、専門画家の自然把握の精深の精妙さではなく、気品と精神的な深さ、また寂寥蕭散の趣致は、禅宗の精神と深く契合する条件を備えていると島田修二郎氏は述べている(注19)。さて、罔両画と本図との関係であるが、宗達との共通点は、特に右幅の宗達の牛は下方が極めて薄くなり形象の不明瞭さがあり、「微陰」が表われていると思われる。宗達の「たらし込み」も、自然把握を追求した精妙さではなく、気品と精神的なものを表しており、妙動も感じられ、さらに新しい墨戯を生み出したと言えるだろう。また、宗達の牛は叢林の厳しさとは異なり、桃山から江戸初期の華やかな上層町衆の自由さや温かみがある。宗達作品の消え入るような薄墨は、罔両画に通底するところがあるが、罔両画の極度の惜墨法とは異なる。しかし、罔両画の微陰のような薄墨による墨戯が、宗達の牛の要素のひとつにあるように思われる。一方で、線で描かれる「政黄牛図」と面で描かれる本図では、大きな開きがみられる。そこで、本図の別の要素として、宗達の水墨画に影響を与えたと言われている宋末元初の禅僧牧谿との関係も探ってみたい。牧谿が牛図を描いたかは不明ながら、禅機的主題の人物画を描いた牧谿筆「蜆子和尚図」(個人蔵)について、戸田禎佑氏の見解を取り上げてみたい。牧谿は罔両画風や減筆体を知っていたにちがいなく、先行するこれらの画風に敬意を表し、一見、禅余画風に描きあげているが、描線をよくみると、単純化とは反対の柔らかい線を重ねながら全体の調子を整えていく諧調の画家としての本領が現れていて、蜆子の黒衣には光にすける衣の質感さえも与えられている。つまり、主題に伴う先人の表現に敬意をみせ、単純化された表現をとりながら、まったく自己の方法にそれを還元していると述べている(注20)。これに従うなら、本図の右の牛には光にあたって輝くような斑紋や牛の質感も通底するところがあり、また諧調の画家と評される牧谿のその諧調
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